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広島県竹原市の沖合3キロメートルに浮かぶ、周囲わずか約4キロメートルの小さな島、大久野島。ここには、年間20万人もの観光客が押し寄せる。目当ては、島に暮らす数百羽のうさぎだ。だがこの島はかつて「毒ガスの島」として知られていた。戦時中、旧陸軍が毒ガスを製造していた歴史からだ。
なぜ「毒ガスの島」は「うさぎの島」になったのか。そして、これだけの観光客が訪れながら、なぜ地元経済は潤わないのか。前編では、島に刻まれた毒ガスの歴史をたどる。
うさぎ数百羽の楽園には、もうひとつの顔がある
からりと晴れたゴールデンウィークのある日、広島県竹原市の忠海港で乗船券を買った。船を待つ数十メートルの人の列に並ぶ。周りを見回すと、幼い子どもを連れたファミリーや、若い人が多い。船は1時間に1〜2便のはずだが、出航時間になってもなかなか来なかった。大人数の乗り降りに時間がかかったのだろうか、1時間近く待ってようやくフェリーに乗り込む。向かうは「うさぎの島」、大久野島だ。
瀬戸内海の多島美を楽しみながら15分ほど潮風に吹かれているうちに、大久野島に到着した。
島内を進むと、うさぎたちがこちらに気づいて駆け寄ってくる。あっという間に数匹に足元を囲まれた。カメラを構えると、近すぎてピントが合わないほどに覗き込んでくる。やがて「このニンゲンは餌をくれない」と気づいたうさぎたちは、別の観光客のもとへ駆けていった。
たいていの観光客は、うさぎの餌を手にしていた。そのほとんどは、うさぎ用のペレットだ。丸ごと1個のキャベツを抱え、むしりながらうさぎに与えている人もいる。うさぎが鼻をヒクヒクさせながら、夢中になって餌を食べている姿を見れば、頬が緩む。こんなにかわいらしい生き物だったのかと、あらためて見つめてしまった。

