毒ガス資料館の初代館長となった村上初一さんは、少年期に毒ガス工場で働いた経験を持つ。戦後、忠海町(後に竹原市に編入)で公務員として働き、退職後に資料館の館長となった。戦後処理や被害者支援にも尽力した人物である。
村上さんは当初、毒ガス製造について語っていた。しかし、自分も加害者だと気づいてからは、歴史に関する膨大な資料を収集し、加害の歴史も伝えてきた。
観光客のほとんどは毒ガスの歴史を知らぬまま、島を訪れる。資料館が有料と知って入るのをやめる人、短時間で去る人もいる。しかし、事前に歴史を学び、1時間以上かけてじっくりと展示を見る人や、涙を流す人もいるという。
資料館のスタッフは言った。
「広島市には原爆の被害の歴史、大久野島には毒ガスの加害の歴史が残っています。大久野島は『もうひとつのヒロシマ』なのです」
戦後50年、島にはまだ「毒」が残っていた
1995年(平成7年)、衝撃の事実が明らかになった。環境庁が大久野島内の土壌や水を調査したところ、環境基準を大幅に超えるヒ素が検出されたのだ。戦後の毒ガス関連施設の焼却処理などによって分解されたヒ素が、土壌に残留していると考えられた。戦後50年を経て、毒はまだ大久野島に残っていたのだ。
国は1999年(平成11年)6月までに土壌の撤去処理などの対策を行った。その後、広島県は大久野島周辺の環境調査を定期的に実施している。
国によって2度、消された島、大久野島。1度目は1938年、軍事機密として地図上から。2度目は戦後、加害の歴史を認めない沈黙の中で。動員されたすべての人への救済が決まるまでに、敗戦から56年を要した。
その島にいま、年間20万人が押し寄せている。目当ては歴史ではなく、うさぎだ。廃墟の島はいかにして一大観光地に変わったのか。後編では、島の運命を変えた休暇村とうさぎ、そして観光がもたらした光と影を追う。

