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なぜこの島は「地図から消された」のか…年間20万人が訪れる広島「うさぎの島」に眠る、廃墟と毒ガス製造16年の爪痕

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大久野島の発電所跡とうさぎ
大久野島の発電所跡とうさぎ(写真:筆者撮影)
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1980年頃、学者たちはアメリカの公文書から資料を見つけ出し、大久野島での毒ガス製造と、中国での毒ガス戦の存在を明らかにした。

アメリカで見つかった資料により、日本が中国で展開した毒ガス戦の詳細が明るみに出た。(毒ガス資料館所蔵)(写真:筆者撮影)
日本軍の「あか筒」は、筒状の容器にくしゃみ剤のジフェニール・シアンアルシンを充填した有毒発煙筒だ(毒ガス資料館所蔵)(写真:筆者撮影)

遅すぎた被害者救済の開始

すると、日本政府はようやく歴史を認め、被害者救済に乗り出した。動員学徒や女子挺身隊など、戦時中大久野島に関わったすべての人に対する救済措置を厚生省が決定したのは、2001年(平成13年)。敗戦から56年。あまりにも長い時間が流れていた。

1985年(昭和60年)に建立された毒ガス障害死没者慰霊碑。毒ガスの生産や戦後処理に従事し、亡くなった人の名簿が納められている(写真:筆者撮影)
慰霊碑そばの石には「くのしまの けむりに逝きし 同胞の み霊よ とわに 安らけくあれ」と刻まれている(写真:筆者撮影)
障害者救済の歴史(毒ガス資料館の資料をもとに筆者作成)

1945年(昭和20年)

毒ガス処理について米軍と協議

1946年(昭和21年)

米軍の指示のもと、毒物処理開始

毒ガス材を米軍輸送船に搭載、船体とともに爆破して海没

毒ガス海洋投棄

1947年(昭和22年)

島内施設焼却破壊・除毒処理

1952年(昭和27年)

障害者救護をもとめる運動開始

広島大学医学部、従業員の毒ガス後遺症と死因について調査

1953年(昭和28年)

毒ガス障害者援護の請願書採択

1954年(昭和29年)

認定ガス障害者に無料治療、死亡者に一時金支給

1967年(昭和42年)

大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会 結成

1970年(昭和45年)

ガス障害者に対する特別手当支給要綱制定実施

1972年(昭和47年)

竹原市議会「毒ガスの完全防除と毒ガス障害者援助対策の実施」を決議

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