1980年頃、学者たちはアメリカの公文書から資料を見つけ出し、大久野島での毒ガス製造と、中国での毒ガス戦の存在を明らかにした。
遅すぎた被害者救済の開始
すると、日本政府はようやく歴史を認め、被害者救済に乗り出した。動員学徒や女子挺身隊など、戦時中大久野島に関わったすべての人に対する救済措置を厚生省が決定したのは、2001年(平成13年)。敗戦から56年。あまりにも長い時間が流れていた。
|
1945年(昭和20年) |
毒ガス処理について米軍と協議 |
|
1946年(昭和21年) |
米軍の指示のもと、毒物処理開始 毒ガス材を米軍輸送船に搭載、船体とともに爆破して海没 毒ガス海洋投棄 |
|
1947年(昭和22年) |
島内施設焼却破壊・除毒処理 |
|
1952年(昭和27年) |
障害者救護をもとめる運動開始 広島大学医学部、従業員の毒ガス後遺症と死因について調査 |
|
1953年(昭和28年) |
毒ガス障害者援護の請願書採択 |
|
1954年(昭和29年) |
認定ガス障害者に無料治療、死亡者に一時金支給 |
|
1967年(昭和42年) |
大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会 結成 |
|
1970年(昭和45年) |
ガス障害者に対する特別手当支給要綱制定実施 |
|
1972年(昭和47年) |
竹原市議会「毒ガスの完全防除と毒ガス障害者援助対策の実施」を決議 |

