全国で農家の後継者不足が叫ばれる中、自ら志願して就農した内山さん。敏雄さんは「小田原の宝ですよ」と、うれしそうに話す。
「一番おいしい」の一言が、息子を変えた
これからの八木下農園についても聞いた。敏雄さんと息子の修平さんは、代替わりについて折に触れて話し合っているという。
修平さんは学生時代、陸上に打ち込み、日本体育大学に進学した。実家の柑橘には、特に強い思い入れはなかったという。転機は、大学時代。上下関係の厳しい寮生活の中、三重県出身の同級生が「八木下の実家、みかん農家なんですよ」と噂を広める。すると、それまであまり話したことがなかった先輩たちが「みかん好きやで」と反応し、話すきっかけが生まれた。先輩たちに「今まで食べたみかんの中で一番おいしい」と言ってもらえたことがうれしかった。あらためて実家の柑橘の価値に気づいたという。
卒業後は東京で就職したが、4年程前、26歳のときに会社を離れた。現在は東京と小田原の二拠点生活で、週の半分ほど畑に出ている。東京では同年代の経営者とのつながりを広げるため、精力的に活動しているという。取引先に出向くことも多く、シェフとの会話から、気づきや学びを得ている。
畑とは異なる場所に身を置くことで、見えてくるものがあるようだ。
そのベースには、敏雄さんが追求してきた“本物”がある。まずは技術を敏雄さんから修平さんに伝える。そのうえで、適正な価格を維持しながら、新しい付加価値をどう加えていくか。
「息子のカラーを出していくにはどうしたらいいか」
農業も個の時代、生産者一人ひとりの主体性が大切だと敏雄さんは考えている。
大雪という試練を乗り越えた先に、親子が見据えるのは次の100年だ。
「100年以上続く家業を、この先も長く続けていきたい」
修平さんの言葉に、迷いはなかった。

