当時の鳩山一郎政権は、「日ソ国交回復」「国連加盟」「自主外交」を看板に掲げ、再軍備に関しては陸上自衛隊を18万人に増強し、在日米軍の地上部隊を撤退することを計画していました。
外相は重光葵で、45年9月2日にアメリカの戦艦ミズーリ号の甲板上で、日本が連合国との間で休戦協定をかわしたときの代表でした。重光外相は安保改定の打診のために訪米し、日米安保条約の生みの親ともいえるジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談し、「日本の防衛力増強に伴い、駐留米軍を日本から逐次撤退させたい。そして、現在の片務的な安保条約に代わる相互的な新条約を締結したい」と申し入れたのです。
ダレスはこれに大反対しました。「いつの間に日本はそんな憲法解釈をするようになったのか」と驚き、知人への手紙にも「とうとう日本はフィリピンのようなことを言い出した」と嘆き、「合衆国にとっての利益は、日本に合衆国を防衛させることではない。合衆国が望むときに望むだけ、いつまででも、合衆国の軍隊を駐留させる権利を持つことだ」と書いています。
極東の平和について日本人も考えるべき
領土は国家主権の3要件の一角をなします。それを条約上の義務として提供し続けるという状態を続けていて、これで日本は独立国だと言えるでしょうか。もちろん私も、アメリカ軍の駐留は必要だと思います。とくに日本は「懲罰的・報復的抑止力」、つまり核兵器を持ちませんから、それをアメリカに委ねざるをえません。
しかし駐留の内容――なぜ三沢基地にF-16があり、なぜ岩国基地にオスプレイがあり、なぜ横須賀港に空母ジョージ・ワシントンが来るのか。これらについて、日本人が判断して決めるのと、条約上の義務だからと盲目的に受け入れるのとは、まったく意味が違います。
もちろん日米安保条約は日本の安全のみならず、極東の平和と安全を目的とするものですが、現状ではそれに決定権を持つのはアメリカで、日本ではありません。
本来、まずわが国の防衛について、日本が防衛力の整備範囲を決定し、足りないところをアメリカに補ってもらうべきでしょう。日米安保条約は日本の安全のみならず、極東の平和と安全を目的としますが、その手段については日本人も考えるべきことなのです。
しかし、われわれはこれを長らく放棄してきました。憲法9条がある以上、仕方ない面もあったかもしれませんが、世界でも有数の規模の戦闘機や戦車を持ちながら、「これらは戦力ではない」とし続けている。「必要最小限の防衛力だから戦力ではない」といいますが、北朝鮮に対する最小限とロシアに対する最小限とは違うでしょう。結局、法的に戦力とは認めないまま、軍事力が肥大化していくことにもなりかねません。


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