木下洋子さん(仮名)は、末期がんと診断され、ほぼ寝たきりで過ごしていました。通常であれば入院するところですが、山間部で暮らしていた木下さんは「山で死にたい。入院したくない」と話していました。近くに24時間診てくれる診療所もなく、病状が悪化してもう山では暮らせないだろうと思っていたのです。
娘の真奈美さん(仮名)から電話で相談を受けた私は「お母さんには『山で死ねるよ』と伝えてあげてくださいね」と話しました。それほど遠くないところで開業している知り合いの医師と一緒に、私が木下さんを支えれば「山で死ぬ」ことができると思ったからです。
すると、木下さんはとても喜んで、不思議なことにどんどん元気になっていきました。治療もしていないのに、1本の電話で元気になる。なぜ、そんなことが起きたのでしょうか。
木下さんは「自宅で最期まで過ごす」ことを希望していたのですが、それができないかもしれないと思うと希望をなくし、免疫力が下がるとともにADL(日常生活動作)も下がり、悪循環となっていました。ところが「家で死ねる。山で死ねる」という電話で希望の光が見え、免疫力も上がったのでしょう。
目に見えないいのちを相手にするときには、注射や手術などの医学的な治療だけでなく、心の治療も重要だと思っています。「山で死にたい」と願っていた木下さんは、私が真奈美さんに電話をしてから2年半以上、元気に山で暮らしました。
残された時間が充実していれば死は怖くない
私のゴルフ仲間だった72歳の丹羽昭雄さん(仮名)は、大腸がんの手術を受けてから在宅医療を受けていました。かかりつけ医をしていた私や、私の家族と一緒に、清流・長良川へ注ぐ鳥羽川へ釣りに出かけるなど、末期がんとは思えないほど日々の暮らしを楽しんでいました。
ある日のこと、まだ介護保険がなかったので丹羽さんの看護を1人で行っていた妻の文子さん(仮名)が、いつものように高血圧治療のため、小笠原内科の外来に来ました。すると、文子さんの最大血圧が200mmHgにまで上がっていました。いつもは130mmHgなので、かなり高い数値です。
そこで私が血圧を下げる薬を増量しようとしたら、「先生、今回血圧が上がったのは恋の病と同じで、お薬では下がりません。でもきっと、もうすぐ下がりますよ。オホホ」とほほえんでいました。その数日後の1992年2月4日の昼に、丹羽さんは大往生されたのです。


※ログイン後、コメント入力が可能です。