実はこの奈良監獄は2017年の閉庁後、一度別の事業者が活用する計画を立てていた。しかし、ホテル単体での収益モデルで採算が合わないなどさまざまな理由から、結局撤退したという。
そこで声がかかったのが「星野リゾート」だった。2019年10月、同社は「行政の負担を抑えつつ、歴史的建造物をいかに保存していくか?」という難題を引き継ぐことになる。
掛川さんは「自分は当初からいたわけではないのですが」と前置きしつつ、このように語った。
「とにかく規模が大きく、ホテルにしようとすると、耐震工事だけで60億円ぐらいすることがわかりました。早くやらないと、地震が来たらあっという間に壊れてしまう。でも、ただ柱で補強すればいいわけではありませんでした。どのように残し、重要文化財を保たせるかが、すごく難しい課題だったんです」
他社がさじを投げた巨大プロジェクトをなぜ星野リゾートは引き受けたのか。それは、代表の星野佳路さんの「収益で貴重な建物を保存したい」という思いがあったからだ。
「観光収益で国の建物を保存するというのは、日本ではほとんど前例がない取り組みです。弊社の代表は、『それをやり遂げることには、大きな意義がある』と言っていました。たとえコストがどれだけかかっても、きっとこの道を選んだんだと思います」
そうして、日帰り客を見込める「奈良監獄ミュージアム」
しかし、なぜいわゆる「監獄体験型のホテル」にしなかったのだろうか。例えば、スウェーデンには、実際に監獄体験型のホテルがある。取材に同行した編集者は、そのホテルに旅行で訪れたことがあり「刑務所そのままの部屋で、怖くて眠れなかった」と話していた。日本でも「怖いもの見たさ」を狙えば、話題は呼べたはずである。
答えは、本サイトに掲載された星野さんのインタビュー記事を読むとわかる。星野氏は、監獄体験型という選択肢を最初から検討していないと明言したうえで、その理由をこう語っている。
「一般の人が監獄の疑似体験をして『楽しかった』と感じるような施設にしてしまうと、服役囚の生活や刑務所の歴史を軽んじることにもなりかねない」
エンタメとしての体験ホテルか、重要文化財の誇りを背負う高級ホテルか。どちらの採算性が高いのかはわからない。けれど、星野リゾートが選んだのは後者だった。
国は「保存ありきの活用」、星野リゾートは「活用ありきの保存」
とはいえ、国の重要文化財を、宿泊客や観光客を受け入れる場所に変えるのは容易ではない。その点で最も激しい攻防があったのが、「快適性」と「文化財保護」の両立だ。
そもそも国は「保存ありきの活用」で考えていた。だが、星野リゾートは「活用ありきの保存」を提案した。
「この美しき監獄で、お客様にどう快適に過ごしていただくか?」
出発点が違えば、修繕方法で意見が衝突するのは容易に想像できる。
例えば、いま私たちが座っている、別棟のダイニングラウンジ。かつてここは、刑務所の物置だった。暗く、全方位に壁しかなかったという。だが今は、大きな窓が中庭を切り取っている。

