しかしその新潟は、思いのほか居心地が良かった。
「新潟は若者が少なくお年寄りばかりなんですが、女性のほうが長生きするからか、とくにおばあちゃんが多い印象です。それも、本当に親しみやすくて大好きになりました。外国人の僕に対しても距離感なく、自分の孫みたいに接してくれて」
とりわけ思い出に残っている人がいる。
「日本語があまり話せなかった頃ですが、病院の清掃のアルバイトをしていたんですよ。働いているのは基本的に留学生と年配の方だけ。そこで一緒にペアを組んで仕事をしたおばあちゃんが、なにかと優しかったんです。ジュースをおごってくれたり、ご家族の話をしてくれたり、新潟弁を教えてくれたり」
その後、新潟市内で留学生向けの日本語スピーチコンテストに参加した劉さんは、清掃をするときのエプロン姿で登壇。そのおばあちゃんから教えてもらった新潟弁を駆使してアルバイトの話を披露し、賞をもらった。職場を辞めるときは会社の人々が送別会を開いてくれて、そのおばあちゃんもやってきて、楽しい時間を過ごしたそうだ。
ハルビンの大学を卒業した劉さんは、「せっかく日本に留学したんだから」と新潟大学の大学院に進学。修了後は上京し、さまざまな業界での仕事を経て、いまは日本人と共同でAIベンチャーを切り盛りする。
『百様』が生まれたきっかけとは
こうして日本で暮らす中で、気がついたことがあった。
「大学院生のときに毎朝ニュースを見ていたのですが、たいていひとつは中国の話題がありました。それもネガティブなものばかりです。そういうニュースの背景に使われている映像が、人民服を着た人たちが自転車で走っている様子だったりしました」
一緒に見た、当時付き合っていた日本人の彼女に「中国っていま、こんな感じなの?」と聞かれたことがあったそうだ。
「いやいや、これは僕が生まれる前、たぶん1970年代くらいじゃないかって言ったんですが、あえてこういう映像を流しているのかなと」
日本のメディアの姿勢に疑問を持ち、その報道を真に受けてしまう日本人の多さにも危機感を覚えた。互いに反感を持つ人も多い両国だが、内実は対照的だと劉さんは言う。

