こうした在日中国人のボランティア団体はいくつもあるのだという。
「能登半島の震災のときには、現地に何度も足を運んだ人たちもいました。被災地で、日本人が好きな豚骨スープと、中国の特色である餃子を組み合わせた『豚骨水餃子』を茹でたそうです。被災者の方々から『まさか外国人から援助をもらえるとは思わなかった、温かい餃子を食べられて本当に良かった』と声をかけられたと聞きました」
そんなエピソードに出会うたび、「泣きそうになってしまう」と劉さんは恥ずかしそうに言う。
「インタビューのとき、原稿を整理しているとき、書き終えたあとに読み直しているとき、そのたびに感動しちゃう。けっこう、そういう性格なんです」
忘れられない、新潟のおばあちゃん
劉さんの生まれは中国東北部、黒竜江省の省都・哈爾浜(ハルビン)だ。ロシアにも近いことからヨーロッパ風の建築物も目立ち、冬場になれば気温はマイナス30度を下回る酷寒の地。重工業や観光業で栄える1000万都市でもある。
日本に関わるようになったのは地元の大学に通い始めたときだ。
「外国語学部だったので、専攻を英語、韓国語、ロシア語、日本語の中から選ぶんですが、最初はロシア語を勉強しようと考えていました」
ハルビンはロシアとの貿易もさかんだ。将来の仕事に役立つと思った。
「でも、発音も文法もとにかく難しい。かといって英語は勉強している人が多いし、韓国語はまわりにたくさんいる朝鮮族の人たちには勝てないんですよ」
朝鮮半島と接する東北部ならではの事情だが、こうして劉さんは日本語を学ぶようになった。祖父が早稲田大学に留学していたという縁もあったし、ハルビンと新潟市が姉妹都市であることも大きかった。提携している新潟の専門学校に留学すれば、ハルビンの大学の単位が取れるのだ。その制度を使って、はじめて日本にやってきたのは大学3年生のとき。2012年だった。
新潟空港に降り立った日のことはよく覚えている。
「学校の先生が迎えに来てくれた車で市内に向かったんですが、道中、現代的な建物などが本当になにもなかったんです。新潟駅のそばにも20階建て以上のビルは当時、2つか3つしかなかった印象です。新潟の人には申し訳ないですが、ここは大丈夫かなって(笑)」

