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世間では、今は、AI、AI、AI、あるいはデータ、データ、データである。
データは情報であり、AIは情報処理の究極の形であり、その点においてあっという間に人知を超えたのである。よって、経済は夢のように発展すると期待するか、その破壊力に怯えてAIを人類の敵と考えるか、反応は極端に分かれている。
先週は、競争がすべていいわけではない、と、現代経済学の信仰の中心である「市場競争原理主義」に戦いを挑んだが、正統的な経済学者でありながら、われわれと同じように、競争が常に良いわけではない、と考えている人もいるようである。
日経「経済教室」の論考に120%賛成、ではあるが…
日本経済新聞の経済教室は、7月15日から17日に、データ市場の未来というタイトルで3名の学者の論考を掲載した。16日の担当であった安達貴教京都大学教授は「(自身が)市場は社会的共通資本であるという立場から、従来からの競争政策的発想を、市場の管理、すなわち『マーケット・マネジメント』という視点から見直すことを提唱している。ここでは、市場そのものを公的価値の創出空間として位置付ける経済倫理が必須となる」と述べている。
これには120%賛成だ。あまりに感激して、彼の著作をネットで即注文してしまった。
その後の議論は、「データ市場」の整備について、どのような考え方で臨むべきか、という点に進むのだが、そこでは、既存の議論の整理が行われ、データの外部性に応じた「階層化ガバナンス」、プラットフォーム間のデータ移行の「相互運用性」、「データ信託(情報銀行)」の3つの点の重要性が述べられ、最後は、「データ市場の未来においては、マーケット・マネジメントという新しい経済倫理の普及・定着が不可欠である」と締めくくられている。
その通り、ではある。
翌17日の、経済学者ではない、情報分野の専門家の東京大学大学院情報学環教授である越塚登氏の論考も、編集者により「信頼がデータ利活用の核に」という大見出しがつけられている。
彼は、「非公開情報やパーソナルデータなど、公開できないがゆえに価値を持つデータ…の流通は単純な自由市場の競争には委ねられない」「必要なのはデータを売り切る市場ではなく、…信頼(トラスト)を組み込んだ市場の設計である」と論じており、最後に、「産業社会・市民社会と調和させる制度を構築し、経済的にも社会的にも実効的なデータ流通を生み出すこと、すなわち技術的解、事業的解、制度・社会的解を一体で示すことに取り組んでいきたい」と結んでいる。
素晴らしい、としか言いようがない。
これらの論考には非の打ちどころもないし、120%賛成であり、同じ側にいるとは思うのだが、何か、すっきりしないところが残る。それはなぜだろう?
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