そのときの杉山さんにとっては、母の優しい言葉よりも、父の期待する言葉のほうが、実は助かった。自分の能力に何ひとつ納得していなかったからである。何も諦めたくないし、諦められる理由が何もなかった。
「死んでないから」。友人たちが「一回死にかけてるんだから、今からもう何してもいいじゃん」とおどけて優しくしてくれても、彼はそれを素直には受け取れなかった。
「東大生のレベルまで戻すのは、病院の仕事ではない」
大怪我から3か月目、2月も半ばを過ぎたころ、リハビリ病院の担当医から突然告げられる。
「そろそろ退院しましょう」
彼の感覚からすれば、まだ何も回復していなかった。元々の自分の能力は、依然として遠くにあった。しかし担当医は冷静だった。
「今の能力でも、社会でなんとか働けますよね。東大生のレベルまで回復させるのは、病院の仕事ではないんです」
元通りにするのがリハビリではない。働けるまで戻すのがリハビリ――言われてみれば、医療への社会の要請はその通りだった。しかし、できない自分のまま、この状態で社会に戻らなければいけないというのは、彼にとって別種のショックだった。
退院後、在学中に友人と立ち上げた団体で仕事をしていたが、東大を卒業して「お手並み拝見」の案件もなくなり、フリーランスの営業ができなくなっていった。「安いんですか? 早いんですか? 上手いんですか?」に答えなければならない社会の基準の前で、彼は立ちすくんだ。
泣く泣く転職活動をはじめ、社会課題解決の社団法人に入職するも半年で退社。次に拾ってくれた会社では「好きなことしてていいよ。給料は払うから」と言われたが、何をしたらお返しになるか分からないままに給料をもらい続けるというのは、想像を超えて怖かった。彼は迷走し、精神科に通院するほど落ち込んだ時期もあった。

