そして、ようやく容体を主治医から正確に説明された1月15日、杉山さんは病室に戻って、爆笑した。
「いやこんな大変なことになってたのw?? 言ってよww!! 早めに言ってwww」
母は「いや言ったよ……何回も」と返した。この「笑いの発作」は、その後2年ほど残った後遺症だった。感情が過剰になる症状で、笑い始めると止まらない。
漫才サークルを立ち上げるほど人を笑わせるのが好きだった彼が、勝手に笑いすぎて自分がしんどくなる側に回ってしまった、というのが、彼の運命のブラックユーモアだった。
「頑張れ」と言った父、「無理しないで」と言った母
母はリハビリ中の息子に「別に急がなくていい、無理しなくていい、何もできなくてもいい」と優しく伝えた。しかし息子は、それが猛烈に苛立った。「できなくても大丈夫って言われても、大丈夫なわけねえから。あなたが必死に育ててきた子供が、こんなんでいいのか」――そういう怒りが、当時の彼を支配していた。
父は対照的だった。手術直後、まだ集中治療室で管につながれている息子を見て、こう言い切ったという。「必ず良くなる。そんなに疑うならデータを取って学会で発表してください」。息子の顔を見て「死ぬ男の表情とは違う」と直感した父は、同時に「どうせコイツ今回のを利用して本とか書くだろうから」と、写真を撮り溜め始めた。
さらに、息子にあえて厳しい言葉を投げた。「頑張れ」である。「今辛い人には言っちゃいけない」が常識になった時代に、キャリアコンサルタントの資格を持つ父が、真逆の言葉を選んだ。
「この大怪我は、誰にもできない体験だ。わざと死にかけるなんてできない。必要な試練で、むしろ得がたいものを得て、そうでなければできなかったようなことを成し遂げるはず。だから怪我を言い訳にしないでね」

