漢字は「勉強させられるもの」ではなかった。偏でグルーピングしていくと、意味の似た仲間が浮かび上がってくる――そのパズル的な面白さに、彼は取り憑かれていた。字が綺麗な母の存在も彼の中の「文字への信頼」を後押ししていただろう。
小学生になっても中学生になっても、この気質は形を変えて残った。文字が好き。国語が好き。演劇部に身を砕いた一宮高校時代を経て、彼は東京大学に進学する。
東京大学に進学→就活全滅でフリーランスに
東大には「頭が良い人」しかいなかった。
「自分の立ち位置を作るために、人と違うことをやろうとした大学生活だったと思います」
漫才サークル「笑論法」を立ち上げて舞台に立ち、留学と旅行で海外を飛び回り、シェアハウスの友人に手料理を振る舞う「すぎ山食堂」を始める。東大のオンラインメディア「UmeeT」の初代編集長として、東大の面白い学生・教授・団体を取材した。そのおかげで京大の新メディア「360°」の立ち上げにも呼ばれる。さらに高校生に向けて出張授業を行う一般社団法人Foraを友人と立ち上げ、ワークショップデザインを担当した。
ここまでの経歴だけを並べれば、彼は間違いなく「できる側」の東大生だった。だが、就活は違った。「本当に自分に合っているかは分からないから、受かったら行こう」という舐めた姿勢で臨んだ結果、キラキラした志望先はほとんど落ちた。
へこむ彼を、友人たちが次々と自分たちのプロジェクトに引き入れてくれる。彼は「就活浪人とか嫌だから、やってきたことで自分で稼ぐ」と、新卒フリーランスの道を選ぶ。
父からは強く反対された。「納得してなくても、キラキラじゃなくてもいいから、一旦会社に入れ。絶対学びになるから」。しかし就活全敗の息子には、もう他の選択肢がなかった。
父は「一年で300万は稼げるってことだよね?」と問い、息子は「ご両親の教育から学んだのは、稼ぐ力だけではなく、節約する・使わない力です」と切り返した。年間100万貯蓄することを条件に休学を開始し、ギリギリ達成。父はしぶしぶ、フリーランスを続けることを認めた。

