高校を離れてから無職・フリーターの期間を過ごした木村さんでしたが、20歳になる頃、「大学に行ったほうがいいのかもしれない」とふと思い立ち、美大受験を決意します。四年制大学ではなく、美大への受験を決意した理由を聞くと、「自分でもできそうなところを想像した結果」と答えてくれました。
「絵が好きだったとか、特別な理由があったわけじゃないんです。学力で入る総合大学に行ってもまた辞めてしまうだろうなと思って、自分でもできそうなところを想像したら美術大学でした」
画塾に通ったこともなければ、両親が美術関係の仕事でもない木村さんは、自分で受験対策をゼロから組み立てていきます。志望大学の教授がどんな絵を描き、どんな作品を好むのかを徹底的に調べ、自分の技術が入学レベルに到達するための方法を独学でシミュレーションしながら、ひたすら絵を描き続けました。
「人のやり方で学ぶのがあまり得意じゃなくて、自分で考えながらやっていくほうが向いていました。受けようと思ってから1年、22歳になる直前に、多摩美術大学に受かりました」
一般的な「綺麗な絵」ではなく、独自の個性的な絵柄が際立ったことが合格の決め手だったと木村さんは振り返ります。
発表する場がない…一度はアートを離れる
こうして21歳で多摩美術大学油画専攻に入学した木村さんは、油絵と並行して当時美大ではまだ珍しかったアニメーションやゲーム制作を始めます。
しかし油絵を専門とする教授たちは評価のしようがなく、同世代の友人からは面白いと言われるものの、発表の場が見つからないまま卒業後2〜3年は芸術家として活動を試みつつ、アルバイトで資金を貯える日々が続きました。
「作品を作るのはいいけど、どうしたらいいかわからない」という状態が続いた木村さんは、結局アート活動を一度やめてしまいます。そこから10年以上、デザイナーやプログラマーとして会社員・個人事業主など色々な形態で30代後半まで働きました。

