たとえば、子どもと旅行で広島に行ったとき「牡蠣が名産だよ」「牡蠣の養殖があるんだね」という話をしたとします。そして2年後に、地理のテストでそういう問題が出たとしましょう。
そこで子どもが「牡蠣」を答えられなかったら、やはり親心としては「いろいろこの子のためにしてあげているのに」と思ってしまいがちです。
そこをぐっと我慢して、「そんなに興味がないんだな」という感じで捉えられたらいいと思うのです。
子どもは、テストの答案以外のところで学んだことを発露しているのだと思います。
「興味を持ったことを調べよう」とか、「ここに旅行に行くんだったら、ついでにこのあたりのパンフレットをもらって読んでおこう」などという積極的な姿勢のほうが大事ではないでしょうか。
AI時代に必要なのは「自分を楽しませる」こと
具体的な知識そのものより、何かを学びにいく姿勢のほうが、テストに解答できることよりも、長い人生を考えると絶対楽しみにつながると思うのです。
つまり、「能動的に自分で自分を楽しませることができる」ほうがよい。
なぜなら、知識や技術は、子どものころに詰め込んでもすぐ陳腐化していくからです。
とくに最近では、「AIの台頭によってすべての仕事が代替される」などと言われます。
結局そうなると人間が最後にできることは、むしろ特定の目的にとらわれない「遊び」。
「自分で自分を楽しませられる人間が一番しぶとい」という社会になると思うのです。
そして、そうなったときに大事なのは、単なる学力というよりむしろ、「自分は何を楽しいと感じるのか」や、「どのようにその周辺の知識を埋めていくことができるのか」といった、自分の興味の伸ばし方ではないでしょうか。
なぜなら、与えられた情報をただ楽しむ「消費的な遊び」には、いつか限界が来るから。
「おいしいものを食べさせてほしい」
「これ買ってほしい」「プールに入りたい」
「ディズニーランドで何かして遊びたい」……
という、ただその場所に行って何かを楽しむだけの、受動的な遊びは誰にでもできます。
でも、いつかは限界が来る。
若いときはいいかもしれませんが、大人になって、残りの人生の生きがいをすべて消費でまかなう……というのはそれはそれで苦労します。
それが行き着く先は、スマホゲームやパチンコをずっとしている大人ではないでしょうか。
だからこそ、今後の人生で「おもしろい!」と感じることの土台になる何かを、幼少期のうちにうまくつくれるといいなと思います。
むしろ、「自分で自分を楽しませることができる」ということが、結果的に長い人生で一番手に入れるべき力ではないでしょうか。

