この内輪相手だからこその安心感は、投稿のふるまいにも滲み出る。
BeRealでは1日1回の通知に間に合わないと、その日の友人の投稿を見ることはできない。だが、だからと言って「悔しいと感じない」人が約8割にのぼり、「続けなければ」というプレッシャーは薄いと言う。それにもかかわらず、利用者の約半数が毎日のように投稿してしまうのは、サービスにやらされているからではなく、「自分の日常を振り返れる」からという理由が約7割だった。
自分の顔が写った写真を投稿できるか、寝起きのぼさぼさの髪や部屋着のままの写真を平気で投稿できるかと言う問いへの答えは、インスタグラムとBeRealで見事に結果が逆で、BeReal利用者の方が抵抗感が明らかに低かったと言う。
この結果を乗添氏は、BeRealは「発信」のためのSNSというより、「記録」と「生存確認」のためのSNSだからと分析している。今日も友達が、どこかでいつもどおりに生きている──通知をきっかけに交わされるのは、そんなささやかな相互確認だ。見栄えのする一枚を狙うのではなく、ありふれた一日の様子をただ残し、分かち合う。だからこそ、整っていない姿でも気後れせずに出せる。「映え」の対極にある、この「盛らない」コミュニケーションが、いまの若者にはむしろ心地よく映るのだそうだ。
なぜ「素を出せる場所」が渇望されるのか
こうした盛らないコミュニケーション渇望の背景には、いまの若者を取り巻く独特の閉塞感があると乗添氏は語る。iQ Labが別に行った調査では、若者の約8割が「この先の暮らし向きは停滞、あるいは悪化する」と見ていた。実質賃金は伸びず、生活実感は厳しい。にもかかわらず、SNSを開けば他人の「ハレ」の瞬間ばかりが流れてくる。結果として、彼らが思い描く「普通」の生活水準だけが上振れし、自分はそこに届いていないのではという焦りが募っていく。
乗添氏曰く、こうした情報への接触が、Zα世代を上の世代よりも美術館訪問など文化的行動を促進している側面もあるというが、その一方で「ハレ」の演出を競争と感じて疲れている若者も多く生み出しているという。BeRealでは、仕組み的にも「盛れない」ことになっている。この不自由さが、かえって「盛らなくていい」という解放感につながっている、という。
BeRealで毎日投稿している層でも、「ハレ」が求められるインスタグラムでは「月に数回」または「ほとんど投稿しない」人が7割となっている。
50代以上の読者なら、かつてのmixiや内輪ネタで盛り上がった初期のツイッターを覚えている人もいるかも知れない。若者にとってBeRealはまさにそんな存在なのだ。

