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藤波辰爾は見ていた! 「猪木が馬場に何かを仕掛けるんじゃないか」という異様な緊迫感に包まれた《BI砲最後の1日》

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藤波が見ていた「猪木と馬場」が袂を分かつにいたるまでの経緯とは(写真提供:宝島社)

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かつてプロレスがお茶の間の人気コンテンツだった時代、その中心的存在だった日本プロレスを支えていたジャイアント馬場とアントニオ猪木。やがて袂を分かつこととなったこの2人には、一般にはあまり語られることのない因縁があったことをご存じだろうか。
本稿では、猪木の付き人として、ことの成り行きをもっとも近くで目の当たりにしてきたプロレスラー・藤波辰爾氏の共著『証言 アントニオ猪木 絶望と復活の闘魂人生』から一部を抜粋・編集する形で、その因縁が生まれるにいたるまでの生々しい裏側についてお届けします。

「燃える闘魂」がいちばん燃えていた時代

若き日のアントニオ猪木が、最も苦境に立たされた時期といえば、1971年12月に「会社乗っ取り」の汚名を着せられた日本プロレス追放から、翌72年3月、テレビ放送も外国人レスラー招聘ルートもなく、あらゆる興行的基盤が脆弱ななかで旗揚げした新日本プロレス黎明期だろう。

そして、その時代の猪木を誰よりも間近で目撃し、行動をともにしたレスラーが当時猪木の付き人だった藤波辰爾だ。藤波はこの苦しい時代の経験を「自分にとって宝」だと語る。

「猪木さんは『苦しみの中から立ち上がれ』と言っていたけど、あの人の場合は苦しみをあえて好むというか、苦しみをある部分でチャンスにする人だからね。苦しい時こそ気持ちに火がつくので、何もない平凡がいちばん嫌いなんですよ。

だから坂口征二さんとはまったくの正反対だよね。坂口さんは事を荒立てず、なるべく何ごとも起こらないようにするけれど、猪木さんは逆に平穏で波が立たない凪が嫌いなんです。

そういう意味では、日プロの末期から新日本の黎明期というのは、猪木さんがいちばんやる気に満ちていた時代。燃える闘魂がいちばん燃えていた時代だからね。

そういった時代の猪木さんを新人時代に経験できたというのは自分の宝だし、ラッキーだったとも思う。もともと俺はプロレスラーにもなれないはずだった人間が、猪木さんの付き人もやらせてもらったわけだしね」

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