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藤波辰爾は見ていた! 「猪木が馬場に何かを仕掛けるんじゃないか」という異様な緊迫感に包まれた《BI砲最後の1日》

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藤波が見ていた「猪木と馬場」が袂を分かつにいたるまでの経緯とは(写真提供:宝島社)
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本人が言うとおり、あの時代、藤波のような"普通の若者"は、本来ならばプロレスラーになることすらできないはずだった。当時、テレビに登場するようなプロレスラーは、人並みはずれた体格を持つ者か、相撲、柔道、レスリングなどで実績を持つ転向組がほとんど。

プロレス入りする前に格闘技経験がなく、体重もわずか65キロしかなかった藤波は、入門希望の履歴書を日プロに送っても返事はいっさい返ってこなかったのだ。

日プロ内に生じた「馬場派」と「猪木派」

それでも中学卒業後、地元大分の自動車工場で働きながらボディビルに通い、同郷のプロレスラー北沢幹之(魁勝司)が、しばらく別府で温泉治療しているという情報を得ると、兄と一緒に別府の旅館を一軒一軒回って北沢が滞在する湯治宿を発見。猪木の付き人だった北沢に「プロレスラーになりたい」と直訴したことで、北沢とともに日プロの九州巡業についていったのがプロレス入りのきっかけだった。

「当時、北沢さんは猪木さんの付き人だったんだけど、俺を九州巡業に連れていって猪木さんに紹介してくれたんだよね。さらに『このカバンは猪木さんのカバンだから、これをお前が持て』と言ってもらえた。

なんでかっていうと猪木さんのカバンを持っていれば誰も文句を言えない。つまり『猪木さんのカバン持ちだ』という既成事実をつくってくれた。そのおかげで俺は居残れて、ずっと巡業について回ることができたんだよ。それがなかったら、先輩の誰かに追い出されていたと思う。

東京に戻ってきたら、今度は当時の社長である芳の里さんのところに『挨拶に行こう』って連れていってくれてね。『コイツは下関から一緒にずっと巡業についてきて、猪木さんに付き人にしてもらった藤波です』って紹介してくれたんだよ。

そしたら芳の里さんも猪木さんの付き人って言われたら、『頑張れ』って言うしかないもんね(笑)。だから猪木さんと北沢さんがいなかったら、俺はプロレスラーになることはできなかった。いくら感謝してもし切れないよね」

日プロ入門から約1年後、藤波は71年5月9日に岐阜市民会館でデビュー。その相手は北沢が務めたが、そこにも特別な理由があったと藤波は考えている。

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