「あの時、猪木さんは会社を健全化させようとして、最初は馬場さんも賛同していたんですよ。なんで俺がそれを知っているかっていうと、俺は猪木さんの付き人をやってたでしょ。猪木さんと馬場さんはメインイベントが終わると最初に宿舎に帰って、風呂も一番に入って、付き人である俺と佐藤昭雄がそれぞれ背中を流すわけだけど、そこで猪木さんと馬場さんがそういう話をしていたんですよ。
べつに俺らは聞き耳を立ててたわけじゃないけど、どうしても耳に入ってくる。だから、2人が会社改革についてよく相談していたのも知ってたんです。でも、どこかで歯車が狂って、途中からみんな日プロ体制派に引っ張られて、猪木さんだけが貧乏くじを引くことになった。そうなると選手はほとんど馬場派だから、"罪"はすべて猪木さんに被せられたんだよね」
結局、日プロは「社内改革と称し、会社乗っ取りを謀った」として、役員会で猪木の除名処分を決定。一説には、猪木が突き止めた使途不明金は、「行き先が知られてはならないカネ」であったと言われている。それをうやむやにするために、上層部は猪木に乗っ取りの汚名を着せ、永久追放することにしたのだ。
あっけないほどの「BI砲」の解散劇
「猪木さんの日プロ最後の試合となった(71年12月7日)札幌での馬場&猪木vsザ・ファンクスの雰囲気は異様でしたよ。"馬場派"の選手たちがズラリとリングを囲んでね。
おそらく、追放される前に猪木さんが試合中、何かを仕掛けてくると思ったんじゃないかな。試合が終わると、護衛のようにみんなが馬場さんを囲んで、こっちをすごい目で見ていたからね。
あの試合は3本勝負だったんだけど、1本目が終わるとセコンドが大勢バーッとリングに上がってきたのよ。変な光景だったよね。猪木さんの側には俺と山本小鉄さん、木戸(修)さんがいるくらい。馬場さんのほうには、轡田(友継=サムソン・クツワダ)、戸口(正徳=タイガー戸口)、安達(勝治=ミスター・ヒト)なんかをはじめ、みんないるわけ(笑)。
要するに最初の思惑と違って、猪木さんの立場からすると『馬場さんに裏切られた』ということになるから、向こうは『猪木が馬場に何かを仕掛けるんじゃないか』という変なあれがあったんですよ」
この試合でファンクスに敗れた馬場&猪木はインタータッグ王座から転落。「日プロ史上最強コンビ」と呼ばれたBI砲は、あっけなく解散となった。
(取材・文/堀江ガンツ)


