「善意がない」と断じたいわけではありません。多くの金融商品は、結果として社会的な役割を果たしています。ただし、それは設計の中心に「あなたを豊かにする」が置かれていたからではありません。
金融商品は、人を助けるために生まれたというよりも、経済活動を止めないために、資金を効率よく動かすために生まれた装置です。この視点を持たずに金融と向き合うと、私たちはすぐに誤解します。「守ってくれるはずだ」「公平に設計されているはずだ」「自分のために用意されたものだ」。そう思った瞬間、金融商品は理解の対象ではなく、信仰の対象になります。
安心を買ったつもりで、人は判断権を売っている。そしてそのとき、私たちの判断は、いつの間にか他人が設計したルールの内側へと回収されていきます。
銀行・証券会社・国家の本音
銀行、証券会社、国家。これらは多くの人にとって、「自分たちの生活を支えてくれる存在」として映っています。銀行は安全な場所、証券会社は資産形成を助けてくれる窓口、国家は最終的に国民を守ってくれる主体。そうしたイメージは、教育や報道を通じて、ほとんど疑われることなく刷り込まれてきました。
しかし、金融という文脈に限ってそれぞれの役割を見直してみると、立ち位置はまったく違って見えてきます。彼らは、あなたの敵ではありません。しかし同時に、あなたの味方であるとも限らない。
まず、銀行から考えてみましょう。
銀行の最優先事項は、預金者の幸福でも、借り手の成功でもありません。最も重視されているのは、銀行自身の信用と存続です。
銀行は、常に2つのリスクに挟まれています。1つは、貸したお金が返ってこないリスク。もう1つは、預金が一斉に引き出されるリスクです。

