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教員"半世紀ぶりの処遇改善"も変わらぬ「残業代なし」「自腹で備品購入」…善意でまわる教育現場を"持続不可能"にする盲点

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職員室で残業をする教師
「頑張る先生」と「頑張らない先生」のあいだの分断が広がっています(写真:Ushico/PIXTA)
  • 西岡 壱誠 一般財団法人ドラゴン桜財団代表理事・ドラゴン桜2編集担当
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もちろん、定時で帰る教員が「冷たい」というわけでは決してありません。むしろ、業務を効率化し、私生活の時間を確保しながら長く働き続けることは、教員という職業を持続可能にするための合理的な選択です。

問題は、この2つの志向が同じ職員室のなかで共存することの難しさにあります。効率重視の教員から見れば、熱量重視の同僚は「余計なことをして職場の基準を上げる困った存在」であり、熱量重視の教員から見れば、効率重視の同僚は「子どもへの責任を果たしていない人」に見える。どちらも自分の論理では正しいだけに、両者の溝は埋まりにくくなります。

そして組織のロジックから見れば、コンプライアンスと労務管理の観点で軍配は確実に「効率重視」の側に上がります。残業代を出せない構造のなかで、熱量で時間を埋めることは、長期的には組織のサステナビリティを損なうからです。結果として、かつての「金八先生」的な熱血像は、構造上もう成立しにくくなっていると言わざるをえません。

個人の善意で穴埋めしてきたものを、どう設計し直すか

教員の働き方をめぐる問題の核心は、ひとことで言えば「個人の善意でこれまで穴埋めされてきたものを、組織や制度としてどう設計し直すか」という問いに集約されます。

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残業代が出ない構造のもとで、教員の長時間労働は、教職調整額4%という名目だけが支払われた善意の積み重ねによって維持されてきました。自腹を切る文化もまた、リソース不足を個人が補ってきた歴史です。そして部活動の指導も、私生活の時間を投じる熱心な教員によって支えられてきました。

しかしいま、その「個人の善意モデル」が限界を迎えつつあります。給特法改正、部活動の地域移行、業務外注の動き――近年の制度改革は、いずれも善意に依存しない仕組みへの移行を目指しています。問題は、その移行期に、熱心な教員の振る舞いを誰がどう位置づけるかです。

頑張る教員を「止める」のか、それとも頑張りを正当に評価する仕組みを別に作るのか。「いい先生」が煙たがられる現状は、制度設計が個人の熱量を回収しきれていない端的な証拠でもあります。働き方改革を本当に進めるなら、頑張らないことを推奨するだけでは足りません。頑張る人の熱量を、組織として消費せずに継続させる仕組み――その設計が、まだ手付かずのまま残されています。

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