わずかな生活保護のお金で高い洋服を買うなんて、となじるのは簡単だ。家の中のゴミは、ほとんどが衣類で、上品なピンクや緑の帽子が顔を出している。聞くと彼女は戦後の混乱期に貧困生活を送り、その反動で大量に洋服を収集するようになったらしい。
筆者は彼女にかつての少女を見出した。色とりどりの洋服に憧れ、袖を通したいと望むいじらしい少女の姿を――。
そう願うことが、そんなに悪なのだろうか。
彼女がゴミの中で守ろうとしたのは自己の尊厳だ。そこに寄り添わなければ、その心は固く閉ざしてしまう。それは、かつて救えなかった自分の感情を救う行為でもあった。そのような行為が結果として身を滅ぼすことになるとしても、そう生きるしかないのが私たちの宿命なのだとしたら、どうすればそこから自由になれるのだろうか。
それは、筆者自身の人生の課題でもあった。
獣医さんが突然、大きな地図を開いたわけ
結局、愛犬は3年後に亡くなった。筆者はそれからも動物を飼い続けた。猫、うさぎ、熱帯魚――。幼少期の人間不信で、孤独な心は動物でしか埋まらないのだ。
あるとき猫が高齢で病気になり、いきつけの動物病院でも埒が明かなくなった。筆者は猫の「声が聴ける」ので、何とか苦しみから助けてあげたいと願った。
そこで、少し遠い場所にある動物病院へセカンドオピニオンに連れていった。そこにいたのは、心の底から動物を愛している「ザ・昭和のおじいさん」の獣医だった。
奥の部屋では、幼少期にケガをして野生に戻れないという鴨が、のびのびと水浴びしている。「やんちゃでね~」と優しい笑顔で笑いかけてくれた。
彼はおびえて、かごの中から出ようとしない愛猫を「無理に出さなくていい」と言って、上から聴診器を当てた。今までに会ったことのないタイプの獣医さんだ。
