小さい頃の筆者は、そんなたくさんの悲劇的な出来事に見舞われた猫たちを救えず、悔しい思いをした。
なぜ両親は、社会は、こんなに動物たちに冷たいのか。動物たちは無償の愛を与えてくれるというのに。筆者自身そんな葛藤を長年抱えてきた。
愛犬のために昼も夜も働きとおす日々
筆者もその後の人生を、ばななさんのお姉さんと同じく、愛犬に捧げた。
高校卒業後、遠方の大学に進学して1人暮らしをしたが、自宅に残した愛犬がずっと気がかりだった。そこで就職を機にペット可の物件に引っ越し、実家から愛犬を呼び寄せた。
当時は就職氷河期真っ只中で、バイトの身。都内の、ましてペット可と表記された物件の家賃は高い。それでも、愛犬をあの家族のもとに置いておけない。なぜなら最安値のドッグフードだけを与えて庭につないでおけばいい、という人たちだからだ。
愛犬と再会し、健康診断に連れていくと、末期の心臓病になっていた。筆者は泣き崩れた。あそこにいたばっかりに……、と無力な自分を責めた。すべてを投げうっても、愛犬を助けなければ。
そこから、戦いが始まった。当時は動物保険も今ほど普及しておらず、毎月高額な医療費がかかった。高度な医療を受けさせるため、大学病院にも連れていった。当然ながら生活は圧迫される。それでも愛犬のために昼も夜も働きとおした。
あるとき、筆者は孤独・孤立問題についての本の執筆で取材を行っていたところ、ゴミ屋敷に住むおばあさんと出会った。生活保護を受けていた彼女は何度も強制的に自宅のゴミを行政に撤去され、不信感を持っていた。筆者も社会に不信感を持っている。彼女を仲間だと感じた。
だからこそ筆者は、そこに住む人が何を守ろうとしているのかを知りたかった。
彼女は、セットしたばかりのふわふわの髪と、おしゃれな白のシャツで会ってくれた。どうやら美容院に行き、ブティックで新しい服を買ったのだという。
