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「戦時下なのに白米を食べてた」「病院、学校、クラブまであった」…地元民も知らない「消えた山奥の街」が今語られるワケ

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根羽沢鉱山は1940年代に最盛期を迎えた金鉱山だ(写真:筆者撮影)
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昨年は朝倉さんたちと車で鉱山を訪れ、通学路の目印にしていた木がそのままの形で残っているのを見つけた。もっと早く自分の足で訪れていればという後悔もあったそうだが、「朝倉くんがいなきゃ、そのままお墓に持っていっちゃったからね」と話す堀さんは笑顔だった。

調査隊メンバーとともに根羽沢鉱山を訪れた堀さん(写真:ねばざわ廃坑調査隊)

朝倉さん自身の調査で街の全貌はほぼわかっていたそうだが、堀さんの証言でそのイメージはより明瞭になり、根羽沢の全体像の約8割が明らかになった。

その成果を基に、朝倉さんは根羽沢鉱山のジオラマの制作に着手している。かつての街並みを立体的に再現したこのジオラマは、文字や写真では伝えきれない当時の記憶を、多くの人に届けるための新たな手段だ。

朝倉さんが作成した根羽沢鉱山のジオラマを確認する堀さん(写真:筆者撮影)

記録する側と、記憶を持つ側。その出会いがなければ、根羽沢の記憶の多くは、誰にも届くことなく時の流れに埋もれていたのかもしれない。

尾瀬に新たな魅力を―期待と、残された課題

関係者と対話を重ねるうちに、意外な事実も明らかになった。土地所有者である東京パワーテクノロジーもまた、根羽沢の活用を模索していた時期があったのだ。互いの思いが重なり、連携の話が動き出した。

東京パワーテクノロジーを事業主体として、片品村の観光部門・教育委員会、JTB、そしてねばざわ廃坑調査隊――異なる立場の関係者が根羽沢のためにひとつにまとまれた背景には、片品村に「尾瀬かたしな未来プロジェクト」と呼ばれる行政と民間が立場を超えて協力できる枠組みがあったことも大きい。

JTBツアー実施のため、東京パワーテクノロジーが林道を整備した(写真:筆者撮影)

25年度には、ガイド付きの探検ツアーが実現した。かつて鉱夫たちが行き交った道を歩き、苔むした遺構に触れ、閉鎖された坑口の前に立つ。尾瀬を訪れた人が翌日に立ち寄れるコンテンツとして、「片品村=尾瀬」という既存のイメージに新たな魅力を加える可能性を、地元関係者は期待している。

しかしその一方で、課題もある。苔むしたコンクリートの基礎、枯葉が重なる静寂の風景――訪れる人が増えれば、その苔は踏まれ、遺構は少しずつ変化していく。観光客が期待する「幻の街の面影」が、観光化によって失われるというジレンマだ。安全のための通路整備もまた、景観を変えることを意味する。この問いへの答えは、根羽沢だけが探しているわけではない。

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