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「戦時下なのに白米を食べてた」「病院、学校、クラブまであった」…地元民も知らない「消えた山奥の街」が今語られるワケ

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根羽沢鉱山は1940年代に最盛期を迎えた金鉱山だ(写真:筆者撮影)
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朝倉さんが根羽沢のツアーを実現させ、関係者の輪を広げてきた今、次の夢はすでに動き始めている。

今後のツアーは、朝倉さん自身ではなく、朝倉さんが指導した片品村のガイドが担当する予定だ。「いずれは自分の手を離れることが目標」と朝倉さんは言う。朝倉さんがいなくても、根羽沢が観光資源として、文化財として、地域に根付いた存在になっていく――それが朝倉さんの思う本当の自立だ。個人の熱意に依存する活動は、その人がいなくなれば終わってしまう。根羽沢が長きにわたって片品村の財産であり続けるためには、地域そのものがこの場所の価値を引き受けていかなければならない。

そして、さらに大きな夢がある。根羽沢鉱山を、世界遺産にすることだ。「夢は大きく、そして声に出さないと」――朝倉さんはそう言い切る。

資料もなく「歴史に存在しない街」だったこの根羽沢鉱山の記憶は、忘却の淵から引き上げられ、確かな歩みとともに受け継がれている。

消えゆく記憶を、誰がつなぐのか

岩手県の水沢鉱山では坑道や選鉱場跡を巡る探検トレッキングツアーが始まり、岐阜県の笹洞蛍石鉱山では採掘跡地で蛍石を手に取れる体験ツアーが全国から参加者を集める。群馬県内にも小串硫黄鉱山や磐戸鉱山など、山中に眠る遺構は少なくない。いずれも、かつて人が働き、暮らした場所だ。

選鉱製錬場跡地に残る排煙口(写真:筆者撮影)

なぜ今、こうした場所が注目されるのか。インバウンド需要の拡大、産業遺産への関心の高まり、そして「どこにでもある観光地」ではなく「その場所にしかない体験」を求める旅行者の意識の変化――様々な要因が重なっている。しかし根底にあるのは、記録する人・語り継ぐ人・守る人・生かす人が出会い、動き出したという人間の話かもしれない。根羽沢は、そのひとつではないだろうか。

【前編】「コンクリートの基礎を苔が覆う」「車庫の跡はマチュピチュのよう」…かつて1000人が暮らした「消えた山奥の街」の記憶 では、根羽沢の街が誕生し、消えた背景について、基調な写真とともに振り返っている。

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