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「戦時下なのに白米を食べてた」「病院、学校、クラブまであった」…地元民も知らない「消えた山奥の街」が今語られるワケ

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根羽沢鉱山は1940年代に最盛期を迎えた金鉱山だ(写真:筆者撮影)
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専門学校卒業後、東北地方のテレビ局に就職した朝倉さんだったが、仕事は楽しいことばかりではなかった。行き詰まりを感じ先が見えなかった時期、ふと頭に浮かんだのが根羽沢だった。高校時代にホームステイ先のおばさんから聞いた、あの一言が、ずっと心に引っかかっていたのだ。

気がつくと、根羽沢の土地を所有する東京パワーテクノロジー株式会社に電話をかけ、調査の許可を求めていた。

Uターン就職をするまでは2ヶ月に一度、下道で青森から根羽沢まで通っていた(写真:筆者撮影)

そこからは先の見えない調査だったが、尾瀬高校で自然環境や地域の歴史を学んだ経験が調査の土台となった。資料もなく歴史にも残っていない街だからこそ、今調査している自分こそが最先端のはず――「根羽沢の最先端は俺だ」。その自負も朝倉さんを支えていた。インターネットで検索しても何も出てこない。地元の図書館に行っても資料はない。国立国会図書館で俳句集をめくり、「ねばざわ」という文字を探す。そんな地道な調査で幻の街を少しずつ紐解いた。そして知れば知るほど、この街の記憶を自分だけのものにしておくのはもったいないという思いが募っていった。

そして、朝倉さんの熱意と行動力が、やがて新たな局面を引き寄せることになる。

尾瀬高校時代の仲間と『ねばざわ廃坑調査隊』を結成し、過酷な調査も行った。朝倉さん(左から2番目)は副長を務める(写真:ねばざわ廃坑調査隊)

記憶の証人との出会い

転機は、2023年の一枚の新聞記事だった。

戦後の開拓民として入植し、現在も片品村に隣接する群馬県昭和村に暮らす堀道雄さん(94歳)の人生を、鈴木越夫さんが1冊の本にまとめ自費出版した。その本を紹介する新聞記事が、朝倉さんの目に留まった。堀さんの幼少期をつづった章に、「根羽沢」の文字があったという。

記事を読んだその日、朝倉さんは出版社に電話をかけ、堀さんの連絡先を教えてもらった。そしてその日のうちに会いに行った。

「根羽沢に興味がある人がいるの?」と、最初は驚きだったという堀さん。しかし朝倉さんに話を聞いてもらううちに、自分でも忘れていた記憶がよみがえり、懐かしさとともに失われた歴史を伝えられた安堵感が広がっていったそうだ。

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