教員の保護者対応がいかに重い負担になっているか、さまざまなデータで見えてきています。OECDの国際教員指導環境調査(TALIS)2024では、「保護者の懸念への対処」にストレスを「かなり感じる」または「非常によく感じる」と答えた日本の教員は、小学校で58.7%、中学校で56.4%にのぼり、前回調査から増加しています(※1)。ここで考えたいのは、その「保護者の懸念」が、必ずしも学校で起きた出来事ばかりではない、という点です。
「家で挨拶しない」のは誰の問題か
ある中学校で、担任が保護者からこんな相談を受けたといいます。
「うちの娘が最近、家で挨拶もしないし、返事も雑なんです。学校でちゃんと挨拶指導をしているなら、家でもできるはずですよね」
担任が学校での様子を確認すると、その生徒は教室では普通に挨拶もしているし、友人関係にも特段の問題はない。それでも保護者は引き下がりません。「娘に何か問題があるなら、それは学校で何かがあったからでしょう」――家庭内の親子関係の変化が、ほぼそのまま学校の指導責任として処理されようとしているのです。
思春期に入った子どもが親に対して口数を減らしたり、視線を合わせなくなったりするのは、発達上の自然な過程の一部です。家庭の外で関係を築き、家庭内で自分の領域を確保しようとする動きは、自立に向かうプロセスとも言えます。しかしそうした家庭内の現象までもが「学校の指導不足」として外部化されると、教員の仕事の輪郭は際限なく膨らんでいきます。
学校は家庭教育を代行する場所ではありません。挨拶の大切さを教えることと、家庭内の親子関係を管理することは、本来まったく別の話です。ところが「学校でやっているなら家でもできるはず」という論理は、その別物を一直線につなげてしまいます。

