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内田梨瑚被告への怒りや量刑への違和感は人として自然 それでも法廷が「市民感覚」だけで裁けない本質的な姿勢

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内田梨瑚
事件現場となった橋(写真:時事)
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判決に納得できないこと自体は問題ではない。むしろ、司法判断について議論することは健全な社会に必要である。

しかし、「納得できない」ことと、「判決が間違っている」ことは同じではない。われわれは、ときに感覚的に納得のいかない判決に怒りを抱きながらも、その判断がどのような証拠と法的基準に基づいて行われたのかを理解しようとする姿勢を持つ必要がある。

見落としてはならないこと

重大事件における公共的関心は、量刑や加害者の心理に傾きやすい。しかし、ここで最も重要なのは、被害者と遺族である。

犯罪被害遺族が経験する心理的苦痛は、通常の悲嘆反応を超えることが多い。近年では「複雑性悲嘆」という心理状態の概念的精緻化が進み、重大犯罪の遺族が、その高リスク群に含まれることが実証されている。

複雑性悲嘆とは、愛する人を失った後に生じる悲嘆反応が、長期にわたって強度を保ち、日常生活や社会機能を著しく障害する状態を指す。通常の悲嘆反応は時間の経過とともに徐々に軽減するが、複雑性悲嘆では死別後も強烈な思慕、感情的な麻痺、死の現実を受け入れられない感覚、将来への希望の喪失などが持続することが多い。

加えて、二次被害(メディア露出、法的手続きへの反復的関与、周囲の無理解)が、心理的回復を阻害することも報告されている。

日本でも、犯罪被害者等給付金制度や被害者支援員制度が整備されてきたが、長期的な精神的支援体制の充実、経済的補償の継続性、社会的孤立への対処は依然として課題である。量刑論議にエネルギーが集中する一方で、遺族への実質的支援が軽視される構造は再考されるべきである。

本件に対する怒りは正当である。しかし、その怒りを処罰感情の増幅のみに向けることは、問題の本質とはかけ離れている。

私たちが考えるべき問いは複数ある。なぜ他者を支配・脱人間化する加害行動が生じるのか。量刑に対する感情的違和感は、制度改善のいかなる課題を示唆しているのか。そして遺族が長期的に生きていくための社会的支援は十分に整備されているのか。被害者の無念に応え、同様の事件の再発を防ぐためにも、われわれはこのような問いに冷静に向き合う必要がある。

感情は道徳的応答の出発点であるが、それだけでは公正な社会の設計には不十分である。怒りを論理的・制度的問いへと変換する知的営みこそが、この事件から社会が引き出しうる最も重要な教訓であろう。

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