被害者学・司法心理学の研究は、遺族や社会が司法手続きに求めるもののなかに、こうした加害者側からの明示的な責任の承認が含まれることを一貫して示している。それが見えないとき、「処罰が軽い」という感覚はさらに強化される。
SNS環境の役割も看過できない。感情的に高揚した投稿は拡散されやすく、アルゴリズムによって強化されるため、社会的怒りの総量は過剰に可視化される一方、法的・制度的文脈に基づく冷静な議論は相対的に周縁化されやすい。その結果、世論は実際以上に厳罰化へ傾いているように見えることがある。
裁判員裁判制度と市民感覚の統合
本件は裁判員裁判であり、一般市民から選ばれた裁判員が裁判官とともに証拠評価と量刑判断に関与している。裁判員制度は、司法と市民感覚との乖離への批判に応答する形で設計されたものであり、その意味で「市民感覚が反映されない司法」という批判は制度論的に正確ではなくなった。
本件で22日に予定されている判決が出された際に、世論はどう反応するであろうか。一般的に、判決が求刑より重くなることはまれであるため、求刑時以上の感情的な反応が出ることが予想される。
とはいえ、判決は「市民感覚」だけで決まるものではない。法廷における判断は、報道や断片的情報ではなく、体系的に精査された証拠の全体に基づくため、そもそも「市民感覚」とは構造的に非対称なものである。
感情と法的判断は相互に排他的ではないが、量刑が感情的要求のみに従属するならば、法治の原則は形骸化する。法治国家における刑罰は、感情的充足ではなく、証拠・先例・刑事政策的根拠に基づかなければならない。
