とはいえ、「デジタルだから」「フィルムだから」と区別しているわけではない。写真の加工にしても、「モノクロ(フィルム)の時代だって、焼き込み(プリントの際に部分的に露光を多くかけ、濃度を高く描写すること)など、作品にするために手を加えていました。撮って終わり、じゃないですから」。
根幹は技術でなく、どう描くかにある。「灰色の電車に花を」とは、広田さん自身の言葉を借りれば「テクニックじゃなくて気持ち」なのだ。
1枚で1日楽しみ、沿線をひたすら歩いた
鉄道模型の車両を、もっとリアルに制作したい。そのために車両の全体像や、細部を正確に記録したい―。広田さんがカメラを手にしたのは、少年時代のそんな欲求からだった。
戦後数年の日本で、カメラは希少な高級品。いつも誰かの借り物を使った。だから、どのメーカーのカメラも「1、2日で使い方をのみ込んでしまいました」。身体をカメラに同調させるスタイルは、この頃に確立した。
「どんなカメラにも長所と短所があります。長所を味方に付ける。人間と同じですよね、長所を伸ばさないと」と相好を崩す。
その頃に習得した撮影技法が、列車の動きに合わせカメラを振り、背景をブラす「流し撮り」だった。そうせざるを得ない事情があった。カメラのシャッタースピードが遅く、そのままでは動く列車がブレてしまうのだ。
短所を長所と捉え直し、広田さんは後に、走行中の車両を真横から流し撮りした「動止フォトグラフ」という作品を発表することになる。
カメラ同様、フィルムもかつては高価で、存分に使えるものではなかった。
「残り1枚あれば1日楽しめましたね」。どこでどう撮ろうかと思案しながら過ごすのだ。しかし、ここぞという瞬間には惜しまない。「感じた時にシャッターボタンを押す。居合抜きや野球のバッティングと同じです」
本展にある九十九里鉄道(1961年に廃止された千葉県の軽便鉄道)も、夜景の作品は残り3枚のフィルムを携えて揚々と出かけたという。
撮影場所は徹底的に歩いて見つける。「歩かないと見えてこないものがある。自分の目で探して撮ることに価値があると思いますね。行き帰りも列車に乗ると、『来たんだな』という感覚が体の中から湧き出て、地域になじむんです」
ネットでおなじみの撮影地にマイカーで横付けして作例通りに撮るのは楽だが、「どこかで見たことのある写真しか撮れない」と厳しい。「風景が『撮ってください』と語りかけてくるのを感じるんです」
「決定的瞬間」の構成力
鉄道写真は「構図」でなく「構成力」だ―。広田さんは、20世紀を代表するフランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908~2004年)を引き合いに、そう話す。
代表作「決定的瞬間」の表題通り、都市と人物がのぞかせる一瞬の美的な場面を切り取ったブレッソンの作品は、しばしば構図の妙が見どころとされる。だが広田さんによれば、その本質は「画面内の被写体の配置でなく『何をどう切り取るか』」にある。
