連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第24回は、織田信長から離反した三木城主の別所長治について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
家臣に何度となく裏切られた信長
織田信長がいかに家臣たちから恐れられていたか。信長と親交を持ったポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが、著書『日本史』でつづっている。
フロイスは「もっとも私を驚嘆させたのは、信長がいかに家臣から畏怖されているかということ」として、こう続けた。
「信長が手でちょっと合図をするだけでも、家臣たちはきわめて凶暴な獅子の前から逃れるように、重なり合うようにしてただちに消え去りました。そして信長が内から一人を呼んだだけでも、外で百名がきわめて抑揚のある声で返事しました」
信長に報告する際は、徒歩だろうか馬だろうが、とにかく急がなければならなかったという。家臣たちも気が休まる暇がなかったに違いない。「信長はわずかしか、またほとんどまったく家臣の忠告も聞かなかった」ともある。さもありなん、といったところだろう。
重臣の明智光秀が信長を裏切ったのは、信長の暴君ぶりに付いていけなくなったからではないか――。
「本能寺の変」の真相はいまだわからず、そんな見方も強い。ただ、「気性の激しさがゆえに裏切られたのか」、もしくは「裏切られるがゆえに激しい気性になったのか」は判然としない。裏切りが常の戦国時代とはいえ、信長はあまりに多くの裏切りを体験してきたからである。
明智光秀は、信長にとって最初に城持ち大名にした重臣だったが、裏切られた。ほかにも、同盟を結びながら反旗を翻した妹婿・浅井長政や、一度は謀反を許したにもかかわらず再度裏切った松永久秀など、信長が見込んだと思われる有力者ほど反旗を翻す。
