平田弁護士は、「株式会社 ひまわり市場」を那波さんの名義で登記した。これを受けて那波さんは、代表取締役に就任。那波さん自身も借金をして営業譲渡方式で「ひまわり」から営業権を買い取る形で、新たに「ひまわり市場」が誕生した。この時点で、倒産したひまわりの借金と新たに那波さんが連帯保証した借金は合わせて4億だったという。
平田弁護士はその年の暮れ、新宿で開催した忘年会に那波さんを呼んだ。そして、大勢のクライアントの前で、那波さんをこう紹介した。
「こいつね、今はお金もなんも持ってない、ただの若者だけど、いつか日本中に知られる人間になるから。みんな、覚えておいて」
特売もチラシもやめた「勝算なき」決断
平田弁護士から熱い温情を受けた那波さんは、思い切った作戦に出た。 特売も、週3回の広告チラシもやめたのだ。なぜか。
1店舗で運営するひまわり市場は、大手スーパーの全国規模での仕入れ量に太刀打ちできない。ひまわり市場の仕入値よりも、大手スーパーでの販売価格が安いことすらあるという。対抗したら赤字だ。他方で、那波さんは新鮮な魚を仕入れ、その日のうちに全力で売り切るのが得意だった。鮮魚コーナーの売り上げは、突出していたのだ。
「勝算があったわけでは、まったくありません。ただ、それまでは、チラシをバラまいて安売りすればお客さんが来てくれるのだと、私が勘違いしていたんです。うちのお客さんは、全力で頑張っている『鮮魚』を求めて来てくれていた。ならば、これで突き抜けるしかないと思いました」
特売とチラシをやめても、客足は変わらなかった。さらに、年間数千万円のチラシにかかる経費が削減された。那波さんは、「品質がよくて流通量が少ない商品であれば、値段で比べられることがない」と考え、鮮魚以外の商品も品質に徹底的にこだわった商品に切り替える作戦に出た。
しかし、那波さんには鮮魚以外の商品知識がほぼない。どこかに繋がりがないかを必死に探し、「成城石井」の元バイヤーに行きついた。すぐに飛んでいくと、こだわりの商品を取り扱う問屋を紹介してくれた。
