ヤオハンは、1997年に経営破綻した。那波さんは、取引のあった山梨県甲府市の魚の卸会社から声をかけられ、入社することになる。
店長がいない
魚の卸会社で4年ほど働いた2001年、取引先のスーパー「ひまわり」の当時のオーナーからスカウトされた。2店舗目をオープンしたひまわりだったが、経営があまりうまくいっていないと聞いた。「やたら声がでかくて威勢のいい」那波さんを見かけた、当時のオーナーからの熱烈な誘い。当時、那波さんは32歳だった。
「那波くんと一緒に働きたいと言われたんです。当時の店長がすごく前向きで魅力的な方で、この人と一緒に働けるのであればと転職を決めました。でも、入社してみると店長はいませんでした」
店長の代わりにいたのは、「やる気がまったくない」古参社員たち。
その頃のひまわりの経営者はパチンコ店を含む3つの会社を経営していた。スーパー単体での利益がなくても会社全体の経営が回っている状態だったのだ。「俺らが頑張らなくても、給料もらえるから」という空気が漂っていた。
「しっかり働いて、自分のメシ分くらいは稼ぐぞ!」
そう意気込んで入社した那波さん。その傍ら、「暑苦しい奴が入ってきたなぁ」と事務所でサボる古参社員。
「もういいや! じゃあ俺が全部、イチから勉強してやってやる!」
頭にきた那波さんは、商品の発注から陳列、店の経営のすべてを1人で続けた。そこから、昔の知り合いやツテをたどり、「頼む! 助けてくれ!」と1人、2人と呼び込むと、居心地が悪くなった古参社員はほとんどが辞めた。1年後、約40人いた社員は半数ほどが入れ替わった。
