これだけの商品が揃えられるまでになった背景には、店長に逃げられ、借金4億を抱えた過去があった。
自腹で買ってでも、1位にならないと気がすまない
那波さんは、1969年に大阪で生まれた。商社マンだった父親が転勤族で、幼い頃は千葉、神奈川、バングラデシュなどを転々とした。「あまり情熱的な人間ではなかった」という高校時代は、大人しめで読書好き。人前に出るようなタイプではなかったという。
「そこしか受からなかった」という成蹊大学の経営学部に入学後は、いろんなアルバイトをした。ファミレスでは、クリスマスの時期になるとケーキの販売数を競うコンテストがあったそうだ。「そういう時には、がぜん燃えるタイプ」の那波さんは、自腹でケーキを買ってでも1位にならないと気が済まなかった。
そこで販売の面白さに気づいた那波さんは、就職活動で商社とスーパーの2社から内定をもらった。だが、卒業に必要な1単位が足りず留年。2社の内定は取り消しになってしまう。しかし翌年、内定取り消しになったスーパーの「ヤオハン」に、ふたたび挑戦した。
「留年で内定を断ったやつが、もう一度受けにくるなんて前代未聞だ。……お前には、興味がある」
面接官からそう言われ、無事採用。1993年に入社して、山梨県の河口湖にある店舗の鮮魚担当に配属された。しかし、そこは想像を遥かに超えるハードな職場だった。実質的な休みはゼロ。出社すると、「生イカ」を100ケース仕入れてきた上司から、「お前が、売れ。50ケース売れたら昼めし食っていいよ」と言われた。
なんとしてでも昼ごはんにあり付きたい那波さんは、必死だった。客の表情を見て、買う気があるかを判断する。距離を詰めすぎたら、逃げられる。心を開いてくれそうな距離を探り、声をかける。
「大変でしたね。でも、上司にくらいついた結果、『物を売る嗅覚』が身につきました。販売のノウハウを徹底的に鍛えてもらったのはヤオハンです。それが、今につながっています」
