そうなると、編集者は、自ずと「育てる」プロセスを、あたかもプラットフォームに外注したかのごとく、「すでに市場で育った(数字を持っている)果実を収穫しにいく」役割へとシフトしていくことになる。前述の出版不況がそれを後押しし、「化けそうな果実」を探すことに血眼になるのだ。
書き手の育成を諦めることは「出版文化の自殺」である
このような背景と帰結の上に、先の論争が生まれているという事実にもっと注意を払わなければならない。歴史の大きな流れで見れば、かつて出版社が独占していた「発掘と育成」の機能が、経済の縮小とテクノロジーの進化によって「ジャンルごとに最適化(あるいは解体)されつつある過渡期」という言い方もできるだろう。
「編集者が書き手を育ててくれない」という書き手の嘆きは、牧歌的な時代の幻影を追っている姿だと嘲笑うことは簡単だ。けれども、問題の本質はそこではない。新人の発掘からその後のフォローまでを引き受ける編集者がいなくなることは、「出版文化の自殺」にほかならないからである。
実のところ文化の継承は、ノスタルジーなどではない。誠文堂新光社の創業者・社長で、大正・昭和の時代を駆け抜けた小川菊松は、戦後に上梓した『出版興亡五十年』(誠文堂新光社)の中で、「出版業ほどむつかしい、困難な、割の悪い商売は無い」と言い、また「むしろそうあるべきが出版業の真の姿であり、逃れられぬ宿命であるといえるであろう」と断言した。
その上で、「それにも拘わらず、我々がこれに興味をもち、愛着を持つて営々と努力するのは、出版業が新聞事業と共に最高の文化事業であつて、何らかの社会奉仕となり、有益な良書を出せば、その業績を残すことが出来ると共に、社会からもこれを認めて貰うことが出来ると思うからである」と率直に述べている。
小川の「最高の文化事業」には、「書き手の面倒を見る」ということが当然に含まれている。これをパトロンという概念で眺めると面白い。中世の貴族などが文人を抱える食客の文化から始まり、近世の町衆や豪商などによる同好の士的なネットワーク、近代の大衆社会の到来に伴う本格的な商業化と作家の職業化という長大な歩みがある。
歴史学者の今田(こんた)洋三は、近世の出版文化について、「十六世紀までの書物の刊行は、文化的事業ではあっても経済的活動を目的として含んでいない。プリンティングではあってもパブリッシングではなかった」(『江戸の本屋さん 近世文化史の側面』平凡社ライブラリー)と非常に重要な指摘をしている。
もともと「文化的事業」であったものが、近代以降「経済的活動を目的」としたものへと変貌したというのが事の真相なのだ。であるとすれば、パトロン文化というものは、想像以上に出版文化の根幹に関わっていることが明らかになる。
商業化の時代に確立した出版システムは、人類史において産業化とは無縁のまま美や表現、知の追求がなされていた中世や近世の営みと地続きなのである。そのような特性と来歴を持つパトロン文化のポテンシャルを忘れ、ビジネスだけになったとき、小川のいう「割の悪い商売」だけが残り、出版文化は終わるのだ。

