94年に退社した時点で、すでに街の変化を感じていたという。現場にいた人間の目には、商業の縮小は早い段階から兆しとして見えていた。
さらに、井手氏は日立市の変化をこのように表現する。
「街が変化する前に、街を作ってくれた企業が変わってしまった。これからどう変化していくかは難しい話」
企業の成長とともに広がった街が、企業の変化に十分対応できなかった。ヒタチエに集まる学生や、人通りの少ない商店街を歩いていると、百貨店時代から別の街へ移り変わる途中にあるように見えた。
市は伊勢甚ができる前からこの課題を知っていた
日立市が「商業の弱さ」を公式に認識していたのは、ボンベルタ伊勢甚開業より前だった。77年に作成された神峰町1丁目市街地再開発基本計画報告書には、このように記されている。
「水戸はますます商業活動が活発化しつつあり、日立はその逆である」
「全市的な商業活動の低下を招いている」
市は85年、大型ショッピングセンター「椎の広場アウリット」を整備し、伊勢甚を核テナントとして誘致。水戸へ流出する購買力を取り戻し、「街の核」をつくろうとしていた。
しかし、市の地域再生計画(2023年)によれば、18年時点の民間消費支出流出入率はマイナス5.1%。「休日には市外に移動する者が多く、水戸市やひたちなか市に立地する商業施設へ移動しているものと予想される」と記されている。
「水戸に購買力が吸収される構造」は、伊勢甚開業前から現在まで続いている。日立の商業が抱える課題は、現在も大きくは変わっていない。
