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「淘汰されるべくして淘汰された」との声も…百貨店が消滅、駅前は閑散とした「茨城の企業城下町」で見た"意外な光景"

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ヒタチエ
日立市が2022年に土地・建物を取得し、2023年4月にリニューアルオープンした商業施設「ヒタチエ」(写真:筆者撮影)
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かつてここに「日立鉱山専用電気鉄道」が走っていたが、現在は駐車場になっている(写真:筆者撮影)

百貨店が消えたのは衰退ではない

取材で訪れたレストランで「日立はどんな街ですか」と訊くと、店主は「住むにはいいんだけどね」と答えた。

井手氏も、似たようなことを話している。

「外から見ている人が寂れたと言っているだけで、住んでいる人は実は困っていないんだよね」

確かに、街を歩いていて深刻な停滞だけを感じたわけではなかった。シャッターの下りた商店街は静かだったが、ヒタチエには主婦や学生が集まり、それぞれの場所で生活が続いていた。

もちろん、百貨店が消えたことへの喪失感がなかったわけではない。05年の閉店発表時には「日立が寂れていく」との声が上がり、存続を求める動きもあった。百貨店という場所が、日立にとって特別だったことは間違いない。

井手氏「淘汰されるべくして淘汰されたのかもしれないけれど、街から日用品を買う場所がなくなるのだけは避けなければいけない。でも、それを補うのは百貨店じゃなくていい。次の世代へバトンタッチしないといけない」

日立市から百貨店が消えた理由は、赤字や親会社の整理だけでは説明できない。企業城下町の縮小に加え、地形、水戸への購買流出、市内に分散した商圏といった条件が重なり、百貨店を支える市場そのものが小さくなっていった。

ただ、百貨店が消えたことは、街そのものの終わりを意味しない。外から来た人が「寂れた」と感じるのは、かつての賑わいを基準にしているからに過ぎないのだ。

日立駅前を歩いて見えたのは、「衰退後の寂れた街」ではなく、新しい暮らし方へ移り変わる途中の街だった。

参考文献
・日本人文科学会『近代技術の社会的影響に関する実態調査』日本学術振興会、1955年(p.247・250・251・287-289・293・294)
・『日本百貨店年鑑 昭和13年版』日本百貨店通信社、1938年
・『商業界』1977年12月号
・『商業界』1984年5月号
・『ショッピングセンター』1985年9月号
・『ショッピングセンター』1996年11月号
・日本経済新聞 1985年3月27日
・日本経済新聞 1985年6月5日
・日経流通新聞 1988年12月27日
・日本経済新聞 1987年3月11日
・日本経済新聞 2004年8月21日
・山形耕一ほか「街路形成にみる日立市の都市計画の変遷」日本土木史研究発表会論文集5、1985年
・伊勢甚グループ公式サイト
・日立市神峰町1丁目地区市街地再開発基本計画報告書ダイジェスト版(昭和52年・1977年)
・日立市『日立駅前再活性化計画』(地域再生計画)

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