百貨店が消えたのは衰退ではない
取材で訪れたレストランで「日立はどんな街ですか」と訊くと、店主は「住むにはいいんだけどね」と答えた。
井手氏も、似たようなことを話している。
「外から見ている人が寂れたと言っているだけで、住んでいる人は実は困っていないんだよね」
確かに、街を歩いていて深刻な停滞だけを感じたわけではなかった。シャッターの下りた商店街は静かだったが、ヒタチエには主婦や学生が集まり、それぞれの場所で生活が続いていた。
もちろん、百貨店が消えたことへの喪失感がなかったわけではない。05年の閉店発表時には「日立が寂れていく」との声が上がり、存続を求める動きもあった。百貨店という場所が、日立にとって特別だったことは間違いない。
井手氏「淘汰されるべくして淘汰されたのかもしれないけれど、街から日用品を買う場所がなくなるのだけは避けなければいけない。でも、それを補うのは百貨店じゃなくていい。次の世代へバトンタッチしないといけない」
日立市から百貨店が消えた理由は、赤字や親会社の整理だけでは説明できない。企業城下町の縮小に加え、地形、水戸への購買流出、市内に分散した商圏といった条件が重なり、百貨店を支える市場そのものが小さくなっていった。
ただ、百貨店が消えたことは、街そのものの終わりを意味しない。外から来た人が「寂れた」と感じるのは、かつての賑わいを基準にしているからに過ぎないのだ。
日立駅前を歩いて見えたのは、「衰退後の寂れた街」ではなく、新しい暮らし方へ移り変わる途中の街だった。
