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「慌ててつじつま合わせを…」仕事に生きた筑紫哲也が、ボロボロの体で家族と向き合った濃密な最期

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筑紫哲也
2008年3月28日が、『23』最後の出演日となった筑紫哲也氏(1998年撮影:ロイター/アフロ)

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『NEWS23』の顔として時代を併走した筑紫哲也氏。本稿では、『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』より一部抜粋のうえ、がんとの闘病の末、2008年に世を去った筑紫氏が最後に遺した言葉と、18年半守り続けた番組の「DNA」をお伝えします。

鹿児島での闘病生活

筑紫さんは、症状の悪化とともに『23』に出演を続けることは事実上不可能になっていく。つまり復帰は絶望的になっていったのだ。2008年3月28日が、『23』最後の出演日となった。からだは当時もうボロボロの限界状態だったことが「残日録」から読み取れる。

筑紫家の家族にとってみれば、筑紫さんが闘病に入って以降、ある意味ではとても濃密な時間をすごすことになった。房子さんはこう述べている。

家族が一緒にすごせた最後の4カ月は、私だけでなく子どもたちにとってもかけがえのないものになりました。いま振り返れば、あれは神様がくれた時間だったんだなあ、と思います。 ――前記『筑紫哲也 永遠の好奇心』

房子さんの言う「最後の4カ月」というのは、鹿児島の病院での闘病生活のことをさしている。この病院へは、筑紫家とも親交のある俳優の樹木希林さんの勧めによって移ったのだった。この頃、筑紫さんの病状は末期に近いものになっていた。

樹木さんは、鹿児島の病院にお見舞いに行った時のことを今でもよく覚えているという。

「『いいご家族で幸せね』って言ったら、筑紫さんがね、『いやあ、慌ててつじつま合わせをやってるんだよ』って例の笑顔でね、仰ってたわ」(2013年4月30日、樹木さんとの面談での発言)

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