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「慌ててつじつま合わせを…」仕事に生きた筑紫哲也が、ボロボロの体で家族と向き合った濃密な最期

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筑紫哲也
2008年3月28日が、『23』最後の出演日となった筑紫哲也氏(1998年撮影:ロイター/アフロ)
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この日、23時48分25秒から筑紫さんはまるで遺言のように、次のような「多事争論」を述べて番組を去った。敢えて全文を掲げておく。今こそ、この「多事争論」の言葉をかみ締める時だと思うからだ。ちなみにこの日の「金曜深夜便」は「筑紫哲也×忌野清志郎」というがんサバイバー志向者同士の対談だった。吉岡弘行デスクと鎮守康代ディレクターの制作によるものだ。

ニュースというのは「これが初めて」を強調したがるものですが、18年半前にこの番組が始まる時、プロデューサーは記者会見で番組について「二つの史上初がある」と強調しました。ひとつは「ニュース番組に個人の名前がついたのが、この国では初めてだ」。もうひとつは「その私がキャスターだけでなくて編集長を兼ねている」と言いました。
来週からの番組リニューアルで、番組名から私の名前が消えます。そして私は編集長でもなくなります。そういう場合、普通は18年半を振り返って大特集をやるとか、この番組のために生まれた名曲『最後のニュース』を井上陽水さんに唄ってもらうとか、ひと騒ぎするものであります。しかし、それをやりません。スタジオでの花束贈呈もありません。
なぜかといえば、番組が終わるわけでもなく、私がいなくなるわけでもないからです。私は体力の許す範囲、そして番組にとってプラスになると思える範囲で、これからもこの番組にかかわっていきます。
そんなことより変わらないのは、長い間みなさんの支持によって作られたこの番組のありようです。それを私たちは「NEWS23のDNA」と呼んできました。力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること。とかくひとつの方向に流れやすいこの国で、まあ、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれど、少数派であることを恐れないこと。多様な意見や立場を登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと。それを、すべてまっとうできたとは言いません。しかし、そういう意思を持つ番組であろうとは努めてまいりました。
これからも、その松明は受け継がれていきます。この18年の間、どうして番組が生き残れたのかと、改めて考えてみました。いちばんの理由は、ご覧いただいている皆さまからの信頼感という支えが大きかったと思います。どうぞこれからも変わらず、NEWS23をよろしくお願いいたします。

松明は消え入りそうだが

『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(朝日新聞出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

筑紫さん、あなたの言っていた「NEWS23のDNA」を引き継ぐ者は、少数派になってしまいましたよ。大きな権力に対する監視の役もね。松明は消え入りそうです。

でもね、あなたのいない日本のメディア状況を嘆いてばかりいては何も変わりませんよね。だから、困った時も、一見へらへら、にこにこしながら、音楽を口ずさみながら、僕らは、DNAの遺伝子組み換えに叛らっていきますからね。合掌。

追記――文中に登場した樹木希林さんは、2018年9月15日に75歳で他界された。僕が最後に樹木さんにお会いしたのは、2013年4月、東京・渋谷の飲食店。樹木さんは、かなり突っ込んだ話をされた。ここに記すことがためらわれる。樹木さんは「人生の最後の時期に、筑紫さんは家族と過ごす時間を確保すべきだわよ」と、眼は笑っていない笑顔で語っていた。

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