みたらし:契約上の形態がどうであれ、圧倒的な力関係があって、それを要請したのは日本ですよね。
澤田:おっしゃる通りです。明確な力関係があり、届け出をしたり、軍医が性病を検査したり、部隊の移動に伴って慰安婦の女性たちを帯同するということもありました。民間業者とはいえ、軍と密接な関係があったわけです。
ただ、こういった戦時性被害が日本軍特有の問題かといえば、そうではありません。
1990年代の旧ユーゴスラビア紛争における「民族浄化(エスニック・クレンジング)」でも戦時性被害が深刻な問題となり、これを機に、慰安婦問題も世界的に関心を持たれるようになりました。
みたらし:旧ユーゴスラビア紛争が、慰安婦問題が世界的に注目される一つの契機になったのですね。
澤田:日韓の間で慰安婦問題が取り上げられるようになったのも、90年代になってからです。韓国にも日本軍の兵士だったり、軍属だったりした人はたくさんいますから、慰安婦という存在自体を知らなかったということはない。ただ冷戦という厳しい国際環境の下で日本との関係を悪化させることはできないし、貧しかった韓国は経済的にも日本に頼らざるをえなかった。
そうした複合的要因があって、80年代まで歴史認識問題というのは出てきませんでした。でも90年代になると、冷戦は終わったし、韓国は国力を付けたし、ということで過去の歴史に対して声を上げられるようになったんです。
日韓関係と慰安婦問題の変遷
澤田:90年代前半から半ばの日本は比較的リベラルな政権が続きました。その時に慰安婦問題にも対応しようとしたのですが、韓国側は先ほどお話ししたような事情で肩に力が入っていた。そのために両者の対話はうまくかみ合いませんでした。
その後、2011年に韓国の憲法裁判所が、「政府が慰安婦問題を解決するための外交努力を尽くしていないことは違憲である」という判断を下しました。
そして、13年に就任した朴槿恵(パク・クネ)大統領が慰安婦問題を最優先課題に据えたことで、日韓関係は著しくこじれました。それをどうにか落ち着かせようと結ばれたのが、15年の日韓合意です。
みたらし:「最終的かつ不可逆的な解決」が宣言された、と。
