交際中は穏やかで思い遣りのある人物であっても、結婚後に態度が大きく変わることは珍しくありません。環境や関係性の変化によって、人の振る舞いは驚くほど変わることがあります。
DVやモラハラの加害者が、関係の初期には魅力的で信頼できる人物として振る舞うことは、しばしば指摘されています。その段階で将来の暴力を予測することは、現実には極めて困難です。
「見抜けたはずだ」と言うなら、それは結果を知ったあとから過去を評価しているにすぎません。いわば後知恵による判断なのです。
「結婚は自由意志によるもの」という不確かな前提
また、そもそも結婚が本人の自由意志によるものだった、ということも、安易に信じるべきではない前提です。
もしかしたら、被害者は加害者から脅迫されていたり、あるいはマインドコントロールをされていたりして、冷静に判断をする能力そのものを奪われていたのかも知れません。
DVやモラハラ自体が、そうした暴力に他ならないのですから、結婚の時点でそうした暴力が行われていなかった保証は何もないのです。
自己責任論が語られるとき、被害者は二重に傷つくことになります。暴力による被害に加えて、「あなたにも責任がある」という非難を受けることになるからです。
もし私たちがDVやモラハラを深刻な社会問題として考えるならば、必要なのは被害者の判断を責めることではありません。
むしろ重要なのは、被害者が安全に逃れられる制度や支援を整え、暴力が許されない社会の仕組みを構築することです。

