前編では、再開発されない街「中井・落合」の現在の街の様子と歴史を紹介した。後編では、中井・落合が再開発されない理由を街づくりの経緯から考察する。
市街化が遅かった
中井・落合の属する新宿区では、江戸城外堀や甲州街道の整備などを契機として四谷が江戸時代から市街化され、その他のエリアもおおむね明治時代には市街化された。そのなかで、中井・落合はまだ農村であった。
大きな契機となったのが、1923(大正12)年の関東大震災である。震災後の東京では、道路や橋梁、街区の大規模な整備が実施された。だが新宿区は震災の被害が比較的小さく、ほとんどが震災復興計画の対象とならなかった。
震災が新宿区に変化をもたらしたのは、都市が郊外へ広がるスプロール化だ。東京の西側に家を求める人が多数流れ込んできたことにより、中井・落合でも市街化が進んだ。さらに1927(昭和2)年の西武新宿線中井駅が開業し、幹線道路も整備されたことで、急速に宅地化されていった。
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【住宅が密集する住宅地として発展】
