第2次世界大戦により、新宿区では戦災復興土地区画整理事業が実施された。ほかにも戦前の耕地整理法に基づく一般土地区画整理事業、戦後1954(昭和29)年に制定された土地区画整理法に基づく都市改造土地区画整理事業が行われている。だが、中井・落合はいずれの事業も対象にならなかった。そのため特に上落合では道路などの基盤整備が進まず、木造住宅密集市街地が形成された。
その後、新宿では1968(昭和43)年の副都心建設事業を機に次々に高層ビルが建設され、1991(平成3)年には都庁も移転してきた。
都庁前とつながる大江戸線が1997(平成9)年に開通予定であったことから、中井・落合の山手通り沿いには、都庁と関わる事業者向けの小規模な事務所ビルが建設された。しかし高層オフィスなどは建てられず、大部分が住宅地となっている。
中井・落合は新宿区のなかで市街化されたのが最も遅く、なおかつ住宅が密集する住宅地として発展してきた街なのだ。
行政も生活拠点とする方針
中井・落合は市街化が遅かったことから、行政としても人が集まる広域拠点ではなく、生活拠点を目指してきたことが見て取れる。
1998(平成10)年の「新宿区都市整備方針」では、新宿区における各地域の拠点が定められており、新宿駅周辺地区、四谷地区、高田馬場地区、神楽坂・飯田橋地区の4つは「広域生活拠点」とされている。一方、中井地区、大久保地区、若松地区は「地域生活拠点」という小さな拠点に分類されている。
そして落合地域の整備方針においては、「中井駅周辺地区を地域の拠点として整備する」「良好な戸建住宅の住環境を保全する」「利便性を生かした住宅地を整備する」など、「地域生活拠点」としての機能や住環境を整えることに重きが置かれている。
2007(平成19)年に新宿区が、長期的かつ体系的なまちづくりの指針として策定した「新宿区都市マスタープラン」では、各エリアの街づくり方針がより具体的に示された。四谷や新宿駅周辺に関しては、市街地再開発事業などにより拠点形成を進めることが明記されている。
中井・落合に関しては、まず「中井、落合の駅を中心とする日常の生活圏の核となるエリアを『生活交流の心』と位置付ける」と決められた。そのうえで、「中井駅の駅前広場の整備を推進すること」、「西武線中井駅の北口開設や中井駅周辺の踏み切り対策を進めること等を鉄道事業者に要請すること」が目指されている。だが中井・落合において、再開発を行うような話は出ていない。
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【以降も暮らしやすい街とする整備が進められた】
