帰りの夜道、ここでやってしまおうと英二が飛びかかろうとした瞬間、寄席のハネ太鼓(終演を知らせる太鼓)の音が響いて、彼は不意を突かれてタイミングを失ってしまう。
この後、二人は「開国」や「文明開化」の必要性を議論する機会を持ち、諭吉自身の回想にある表現で「(朝吹英二を)三日三晩説教して、宗旨替えさせ」ている。
さらに朝吹は、諭吉の『西洋事情』を読んで感激し、手持ちの漢籍を売って諭吉の本を買いあさるなどして、すっかり彼の思想に心酔してしまった。
この後、朝吹英二は諭吉の思想の申し子として、活躍することになる。
アバタ面でもモテる、底知れぬ愛敬
明治3(1870)年、彼は諭吉とともに上京し、家の雑用を引き受けたり、慶應義塾出版社の主任となって、諭吉の著書の出版や管理などに携わった。
そんなおり、諭吉が彼に、結婚の話を持ってきた。その相手が、中井川彦次郎の妹の澄(すみ)。お茶の水女学校に通う才媛だったが、澄は、
「他のことなら何でも叔父さん(諭吉のこと)のおおせに従いますが、朝吹さんに嫁ぐことだけはご免こうむりたい」
と頑強に抵抗する。それに対して諭吉は、
「人物がしっかりしていて、将来に見込みがあるし、とくにあの容貌なら女性にもてるわけがないので、女遊びをする気遣いもないし、家庭は平和で、妻としてこれ以上の幸せはない」
と説得、同意をとりつけた。
しかし、諭吉の読みには一点、致命的な誤りがあった。
確かに朝吹は、顔は真ん丸で、しかもアバタ面。おせじにも女性にもてる顔とは言えなかった。
当時、日本に来ていたドイツ人医師が、朝吹の顔を見て、
「こんなに顔の丸い人は今まで見たことがない」
と言ったという逸話があるほどだ。
ところがそんな彼にして、花柳界ではとにかくモテたのだ。
