自分の好きな人とだけつき合い、同意する規則だけ受け容れる自由があるというのは、個人主義の強力な形態だ。ただしそれは、自分と同じ考えを持つ人を、いっしょに野営地を形成できる数だけ見つける能力があれば、の話だった。
1人だけでやっていくという選択肢はなかった。だから私たちの祖先は、集団の一部である必要性の制約を常に受けていた。
農耕への移行で、義務的共有が消滅した。今や人は自分の食べ物を育てて貯蔵でき、そのおかげで、どれほど才能のある狩猟者でさえ挫折させるような、予想のつかない動物の移動その他の要因に影響されなくなったからだ。
こうして、成功は運とのつながりが薄れ、重労働と直結するようになったので、農耕が始まったときに、人に家族以外の人とも食べ物を分かち合うことを義務づける規則は、おおむね消えた。
それは個人主義にとって潜在的な勝利だったが、自分の一族に対する義務が、狩りに成功した後に獲物を共有する義務ほどの重荷でなくなるまでには、何世代もかかるのだった。
農耕への移行で、誰でも好きな人とつき合ったり、自分には不都合な規則を避けたりする機会も減った。
人は、自分で開墾し、作物を育てる土地で暮らしはじめると、隣人がどれほど鼻持ちならなくても、地元の議会の規則がどれほどうるさくても、よそへ移ることはなかった。
そのため、農耕時代の初期は、私たちの祖先が捨て去った狩猟採集生活よりも個人主義的ではなかった。
小麦や大麦と個人主義の起源
人々が選んだ農業の種類、あるいは地元の生態系に適した農業の種類も、さまざまな農耕コミュニティで個人主義が出現するかどうかに影響を与えた。
なぜ個人主義は西ヨーロッパに起源を持つかという疑問に立ち返ると、西ヨーロッパでの農耕は小麦や大麦といった穀物が中心だったという事実に、1つの答えが見つかる。
これらの穀物は、近親以外の助けをあまり借りずに栽培できる。ところが、稲作はさまざまな時点でコミュニティ・レベルの関与を必要とする。それがないと、稲は育たない。

