西谷時代のことは、普段はあまり思い出すことがない。けれど、ときどき夢にあのアパートが出てくる。夢の中で、父はいつもマルエツのビニール袋を手に帰宅する。
20年間変わらない西谷と、変わった私
このエッセイを書くにあたって、久しぶりに西谷へ行った。住んでいたのが2003~2005年なので、およそ20年が経つ。その間、西谷駅は相鉄新横浜線という新しい路線に乗り入れるようになったので、さぞかし変わっているだろう。
……と思って行ったら、駅前があまりにも変わっていなくて驚いた。駅前だけではない。商店街のほとんどのお店が、私が住んでいた頃のままだった。20年前ですら古臭いと感じていたあの個人商店の数々が、繁盛している様子のないまま今もそこにある。
若い頃は「どうして経営が成り立っているんだろう?」と不思議だったが、大人になった今ならわかる。たぶん不動産を持っていて、家賃収入を得ているのだろう。
駅から、父と暮らしたアパートのほうへ向かう。アパートの近所も、やっぱり昔のままだった。お店のおばさんが野良猫にごはんをあげていた花屋さんも、風通しのいい頭髪を持つ父が「隣の駅に行けば1000円カットの店もあるけど、この店がつぶれないように俺が通っているんだ」と言っていた床屋さんも、当時のまま。あまりにも景色が変わっていなくて、道の向こうから当時の私が歩いてきそうな気がした。
路地から奥に入ると、父と暮らした二階建ての白いアパートが見えた。漠然と「更地になっているんじゃないかな」と思っていたので驚く。当時の私はガラケーに電話がかかってくると、父に聞こえないように裏の駐車場で話したものだが、その駐車場も当時のままだった。
ふと、あの回転寿司店に行こうと思いついた。父とたまに行った、少し遠くのお店だ。まだお店があるかどうかはわからないけれど、あえて調べずに歩き出した。
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【「吉玉さんって感情の起伏が少ないですよね」】
