親に高い学費を払ってもらっているくせに学校をサボりがちで、家事もちゃんとしない、不安定ですぐに泣いて寝込むどうしようもない娘。父は声を荒らげたくなることもあっただろう。父は、札幌にいる母にはよく私の話をしていたようだが、私本人に何かを言ってくることはなかった。
褒め言葉も母づてに聞いた。父はたまに回転寿司に連れて行ってくれたのだが、父が「回転寿司行くか?」と言うと、私は「わーい!」と言って喜んだらしい。父は母に「あいつ、子どもみたいに無邪気に『わーい!』って言うのが可愛いんだよな」と言っていたそうだ。
私は子どもの頃だって、父から可愛いと言われたことはない。父はシャイなのか、あまり子どもを褒めない人だった。
父は私の担当編集者だった
父との唯一の共通の話題は「小説」だった。私も父も、小説を読むのが大好きなのだ。私が小説好きになったのは父の影響で、小学生の頃から、父の本棚にある本を勝手に読んでいた。佐藤愛子も阿刀田高も宮本輝も父の本棚で出会った。
当時の私は小説ゼミに所属し、作家を目指して小説を書いては新人賞に応募していた。怠惰な学生だったが、文芸創作系の授業はサボらなかったし、課題も毎回提出していた。
私は小説を書くたび、父にそれを読んでもらった。父は仕事が忙しくても必ず読了し、感想をくれた。「ここのセリフ、30代の男はこんな言い回ししないんじゃないか?」と編集者並みのフィードバックをくれることもあった。しかし、私の小説はよくて二次選考止まりだった。
父との二人暮らしはあっけなく終わった。卒業後に入社した求人広告の会社を3カ月で退職し、怒った母によって札幌に強制送還されたのだ。最後まで迷惑と心配をかけっぱなしだった。
やがて父も定年退職し、札幌の実家に帰った。私は北アルプスの山小屋で働いたり、結婚したり、半年間の長旅に出たり、ライターになったり、離婚したりして今に至る。
次ページが続きます:
【アパートの近所も、やっぱり昔のまま】
