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弟・秀長とともに農民の出自から天下を統一した豊臣秀吉は、出世の階段を上るごとに木下、羽柴、豊臣と名前を変えていったことはよく知られていますが、実はそのたびに、自らの「格」を上げるために「家紋」を使い分けていたことをご存じでしょうか。
本稿では、静岡大学名誉教授・小和田哲男氏の監修書『家紋で読み解く戦国時代』から一部を抜粋・編集する形で、家紋の変遷から見えてくる秀吉の成り上がりの半生を辿ります。
「木下」の名字を名乗り始めた時期
貧しい足軽(または百姓)の家に生まれ、織田信長に仕えて頭角を現し、天下人に上り詰めた豊臣秀吉。
厳密にいえば、「羽柴」が名字、「豊臣」は本姓(ほんせい)である。本姓は氏(うじ/同族の血縁集団)を示す氏族名のことで、単に「姓(せい)」ともいう(古代の「姓(かばね)」とは異なる)。
名字は領地名が由来であることが多いが、「羽柴」は織田家臣の丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつもらったといわれる。秀吉が北近江に所領を与えられた天正元年(1573)頃から名乗った。
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【出自に不明点の多い秀吉】
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