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弟とともに出世の階段を駆け上った豊臣秀吉「家紋の変遷」から見えてくる"成り上がり"の半生を辿る

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出世の階段を駆け上った秀吉の「家紋」の変遷を辿ります(写真:tetsu/PIXTA)
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また、禰々の養家である浅野氏は、半開きの扇の上に沢瀉紋を重ねて描いた「浅野扇」を用いていた。秀吉の甥である秀次も旗印に「立ち沢瀉」を使用しており、沢瀉紋が秀吉の一族にかなり広がっていたことがうかがえる。

天皇から「菊紋」と「桐紋」を下賜される

名字を「羽柴」に改め、一国一城の主となった秀吉は、主君の信長から「桐紋」を下賜されたとみられる。

信長は第15代将軍・足利義昭から桐紋を下賜されたが、それは自らの権威を高めたいという義昭の思惑もあった。信長も主従関係を明確にするため、自分の家紋を家臣たちに下賜した。

桐はキリ科の落葉樹で、初夏に淡い紫色の花が葉の間から咲く。桐紋は花軸の数によっていくつもの種類があるが、秀吉が信長から拝領したのは、中央の花軸に5つ、左右の花軸に3つの花を持つ「五三の桐」だった。

(出所:『家紋で読み解く戦国時代』より)

天正10年(1582)、信長が京の本能寺で明智光秀に討たれると、秀吉は即座に京へ戻って光秀を討った。翌年には最大のライバルだった柴田勝家を破り、新たな天下人に君臨した。

当初は平姓を称していたが、近衛前久の猶子となって藤原姓に改姓し、天正13年(1585)に正親町(おおぎまち)天皇から従一位関白に叙された。同年には太政大臣に任じられ、「豊臣」の姓を下賜された。

このとき、秀吉は正親町天皇から「十六葉菊(じゅうろくようぎく)」と「五七の桐」を拝領したとみられる。「十六葉菊」は主に天皇や皇室を表す紋で、桐紋よりも格式が高いとみなされていた。

(出所:『家紋で読み解く戦国時代』より)
(出所:『家紋で読み解く戦国時代』より)

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【豊臣氏の栄華を伝えるシンボル】

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