「アホいうたらあかんよ」 中道・泉健太議員が問う「エプスタイン文書」から浮かび上がる日本政府の根深すぎる"2つの闇"
――そうした潮流に日本が鈍感だったということでしょうか。
もっとも日本国内でも児童に対する性的犯罪は、日本版DBS「こども性暴力防止法」が24年に制定されるなど、「子どもに対する犯罪は許さない」という対策が進んでいます。しかし、国際犯罪となると「遠い問題」として、違法意識が薄れてしまうのかもしれません。それでは諸外国から見て、日本は「人権意識が遅れた国」になってしまいます。
人権問題は最も重要な問題といえます。「人権デューデリジェンス(DD)」という言葉があります。これまでは国際的な大問題になっている中国によるウイグルの人権弾圧について、奴隷的な環境で生産された製品を買うことを拒否しようという文脈で語られていました。そうした製品はサプライチェーンに入れず、世界のマーケットから排除されるという考えです。
このような人権DDを採用する大企業が世界中で増えてきていますし、それが「当たり前だ」という時代になりつつあるのです。これは各国政府にとっても無視できず、日本政府にそうした意識が希薄だと、各種のプロジェクトや経済条件で後れを取る可能性があります。
しかし、高市政権にはそうした人権DDを遵守しようという様子が見られません。「縁があった人は守る」という人情は、世界に通用しないのです。
中でも驚いたのは小野田紀美経済安全保障担当相です。3月3日の会見で「問題の調査と伊藤氏本人へのヒアリングを行う」と明言したのに、その日に伊藤氏が辞意を表明すると、「本人が辞めると言ったから、もう調査しない」と態度をコロリと変えました。これは時代の逆行です。政府としては悪手以外の何ものでもありません。
19年にエプスタイン氏との交遊でMITメディアラボ所長を辞任したにもかかわらず、なぜ伊藤氏の名前がデジタル監に挙がったのか。なぜデジタル社会構想会議に入ったのか。なぜ、GSCのステアリング・コミッティーに就任したのか。そして、千葉工業大学の学長に就任できたのか。これらについて高市内閣はきちんと解明すべきでしょう。
「エプスタイン文書」が浮き彫りにしたもう1つの問題
――「辞めればいい」だけでは、責任は全うできないというわけですね。
この問題を見ていくと、もう1つ重要なことに気づきました。「エプスタイン文書」の中に、伊藤氏が国籍選択宣言をしているのをエプスタイン氏に知らせる17年8月24日のメールがあったのです。ということは、政府のデジタル社会構想会議や、GSCのステアリング・コミッティーに外国籍の人物が就任していたことになる。
そこで、内閣官房に「内閣総理大臣の諮問機関のメンバーになるには国籍要件が必要なのか」を尋ねたのですが、驚いたことに「(一般的に)国籍については問わないことになっている」とのことでした。





















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